山の端に もみじを散らし 見晴らしぬ
中村 梅士 Baishi
もみじも美しいが、木立の向こうに青い山影がくっきり
と見えるようになるのも秋の壮観である。
今朝は寒くて目が覚めた。
窓が開いていたようだ。
秋の花遍路の満足感からか、今日は何もしなかった。
全くのものぐさ太郎だ。
一日中PCの画面を彷徨していただけだった。
といっても、憧れのアルペンルートの動画に夢中になっ
ていたのだ。
インパクトが強かったのは、恐怖のイメージでしかなか
った穂高のジャンダルムへのアタックだった。
今にも落ちそうな石が重なった痩せ尾根の「馬の瀬」や、
垂直の危険な断崖が続いた先に、異様なジャンダルムの岩
塊が仁王立ちしている。
まさに「死霊の山」に思えるが、山頂にはエンゼルの小
さなモニュメントがある。
そこに若い女性が単独でチャレンジしている動画には驚
いた。
その難所の途中に花束があった。
「うわっ、こわっ」と思わず口にしていたが、遭難現場
だったのだろう。
北アルプスにはそんな場所がいくつもある。
「馬の瀬」という細尾根を刃渡りしてジャンダルムもも
うすぐという所で、動画撮影していた登山者が、「ああ、
滑落だ・・・」とレポートしていた。
動画では見えなかったが、ジャンダルムの断崖から人が
滑落したのが見えたのだ。
翌日、遺体が見つかったという。
その現場に居合わせたパーティーは、全員、危険極まり
ない馬の瀬に再びとりついて引き上げていた。
下りよりも登りの方が楽だという。
滑落した人は、ジャンダルムの山頂を極めた後、急こう
配の岩場を降りる途中で滑落したようだった。
ず~んとくる恐怖感を感じた。
登山とは、学生時代の涸沢から北穂までの恐怖の登山体
験以来縁がない。
しかし、北穂から槍を目指すルートや、北鎌尾根ルート、
谷川岳や剣岳などは最難関の山であり、憧れの山でもある。
もはやチャレンジする機会もない高嶺の花ではあるが、
北鎌尾根、槍、剣、谷川などは夢であり、憧れである。
だから、次々と、動画をトラバースしたのである。
散歩さえしないで、岩登りの緊張感内に日が暮れた。
しかし、谷川岳や剣岳を難なく制覇する動画を見て、命
がけではあるが、タブーが取れたような気がする。
里山の低山歩きに挑戦したい。
危険な岩場があるわけではないが、5時間から10時間
は歩き続ける体力がいる。
その程度のチャレンジ精神が湧いてきた。
人は試練を求めるものである。
明日から、足腰を鍛え直すとしよう。
Ari プロの映画『奇跡との出会い』を購入して観た。
奇跡なんて・・・、とは思わない。
派手な奇跡を見たというわけではないが、不思議な体験
はいくつも思い出すことができる。
エル・カンターレ降臨ということ自体が最大の奇跡であ
り、人生の奇跡である。
その意味では、日々、奇跡が連続している。
ひき逃げ事故では死に損なっている。
リアルで神秘的な夢は今でも時々体験している。
山を駆け下りながらす~っと低空飛行できた時は奇跡だ
と思ったが、どうやらそれは夢だったようである。
霊視できる法友の大先輩から自分の過去世について聞い
たこともある。
癌で一端亡くなった朋友が生き返り、臨死体験を語って
くれたこともあった。
その後二週間程で帰天したが、奇跡のような体験だった。
幸福の科学には、もっとすごい奇跡が沢山あるようだ。
特に、末期がんや難病が治ったという奇跡は多い。
病は気からという理の裏返しというべき奇跡でもある。
頑固故に思考の柔軟性を欠いた学生に話したことがある。
証明された事実しか論拠にはならないという殻に思考の
自由が閉ざされているのだ。
しかし、証明された事実だけが存在するとしたら、そも
そも科学の証明課程にある思考が成り立たない。
科学は仮説によって成り立っているからである。
シャーロックホームの探偵も推理である。
問題提起する事実は思考のとっかかりとしてあるが、そ
こから洞察されるべき悟りは科学的事実ないし、唯物論的
事実に依存しない。
奇跡を生み出す源泉は、神の光と自由な発想による創造
にあるのではないだろうか。
『奇跡との出会い』のようなドキュメント映画には勇気
と希望の力がある。
海外向けの映画としても制作してほしいと思う。
そして、プライム・ビデオで見れるように、早く公開し
てほしいと思う。
これもまた、奇跡の映像作品である。
講演会の法話や霊言などの映像は宗教的秘儀に属するか
ら、本来非公開であり、一般には馴染みのない支部・精舎
でしか見聞できない。
易行道に奇跡はないということではあろう。
しかし、伝道が広がらない理由もそこにある。
そこが少し残念なことに思える。
有料放送でもだめなのだろうか・・・。
やはり、自前のメディアが欲しい所だ。
トランプ大統領が独自のSNSを立ち上げたというが、
資金調達の工夫があってやっと実現の目処が立ったという。
幸福の科学にも欲しいメディアではないだろうか。
しかし、必要があれば、奇跡が臨むであろう。
今はまだ、量より質を伝道の基本としているということ
だろう。
伝道の努力に奇跡が臨むと受け止めたい。
自分にはジャンダルムよりも難しいことに思えるが。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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