鼻水を ちんとたらしぬ 梅三分
梅士 Baishi
今朝は小雨と鼻水の天気である。
二月はとにかく多忙な月である。
多岐にわたる分野の仕込みの時期でもある。
大川隆法著 幸福の科学出版刊『繁栄思考』を一読した。
貧乏神の正体と、これを寄せ付けない積極思考などがテー
マだが、言霊の躍動が素晴らしい一冊である。
行動への示唆もあるが、勇気の言葉もある。
ナポレオン・ヒルの名言が紹介されていた。
「三回続けて失敗しても、挑戦をやめない人には、指導者の
資格がある。十回続けて失敗しても、まだやめないで頑張る人
には、天才の素質がある。」
挑戦と言っても、受験の類ではない。
創造的挑戦についての激励であろう。
ベンチャー起業のチャレンジを見ていると、もう一息というとこ
ろで失敗に終わることが一度や二度ではない。
経営者というのは、それでも悲壮ではない。
「いやー、やるしかありませんから。でなければ、弊社は倒産し
てしまいますから。」
と笑うのである。
マズローの自己実現者の分析を読んでいても、まさに繁栄思
考、発展思考であることが分かる。
自己実現者は、自分のことを考えている時間が少ないのだそ
うである。
大半は、社会貢献の課題を考えているという。
没我的思考に幸福を見出している人々だと言うのである。
( 確かに、不幸感覚と言うのは被害妄想的である。
反省すべきこと多である。
いつの間にか、自己限定しすぎていたと思うのである。
自分はこの程度だと、小さな殻に収まって安住するのだ。
さて、脱皮せねば、次の幸福は創造できまい。
【 いじめから小中学生を救う方法について 】
学校が無法地帯になって、学校も教育委員会もぐるになり、い
じめを隠蔽しようとしているのが全国の公立小中学校の現実で
ある。
不登校に悩む子供と保護者はどうすればよいのだろうか。
高校なら通信制もあり、半年で取れる大学入学資格取得制度
もある。
中学も通信制があるらしいが、ごく稀である。
小学の通信制はない。
不登校は病気ではない。
理不尽な暴力社会に入りたくないのは当然である。
学校も守ってくれず、あんたも悪いで済まされる。
不登校は至極当然の権利とさえ言える。
しかし、小学校を卒業するための安全な教育制度が見つか
らない。
中学も似たようなものである。
結局、「ひきこもり」のままで、社会に放り出される。
なんともひどい話である。
いじめのない小学生寺子屋、中学生寺子屋を義務教育の一
形態として認めよ。
いじめのない、健やかな学校を自由につくらせるべきだ。
義務教育から、公務員を追放せよ!
学校法人設立自由の原則に戻るべきである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi