粛々と 年の瀬辿り 秋遍路
中村 梅士 Baishi
紅葉のシーズンであるが、花のように、その盛りは短い。
嵐がきたりすれば、一夜にして紅葉の季節が終わる。
そして、長~い冬になる。
しかし、一時の彩は青空に映えて美しい。
万物は変化し続けるものとして存在する。
諸行無常とは、存在の動的性格を表している。
散る花も、散る紅葉も、短い彩ではあるが、季節のよう
に、変化の中に巡りくる楽しみでもある。
幸福というものも、手に救って所持することはできない。
幸福もまた、日々の変転と努力のなかにある。
幸福が努力の成果であるならば、努力し続けることが幸
福の在り方ということになる。
資産が幸福なのではなく、資産を生み続けることが幸福
なのである。
目的実現への手段そのものが幸福の動態でなければなら
ない。
目的のためには手段を選ばないという共産主義思想は根
本的に間違っているのである。
紅葉を見る幸福感は、次に訪れる厳しい冬を迎え撃つ積
極性の中に受け止められるものであろう。
冬無くしては、秋の美しさもないからである。
その意味で、幸福感とは常勝思考というべきであろう。
人生はいわば公式戦のようなものである。
勝敗は出世競争ではない。
どれほど豊かさを生み、どれほど愛を与えたかである。
出世しても地獄に堕ちる者が多いのは愛を奪ったからで
ある。
愛の貧困によって人生試合に負けても、そこに学んで、
次の試合に備えるべくあの世の仕事に戻る。
あるいは、地獄の囚人となる。
この世は悪の支配と不条理に溢れているが、あの世にお
いて公平が実現されるのである。
この世において、愛を与える仕事とはどのようなものか。
一つは、貧病争を克服する仕事がある。
例えば、企業は貧困の駆逐のために、医療は病気の克服
のために、司法は紛争の抑止のために使命を持つ。
もう一つは、善悪を教え、正しい人生観を養う宗教教育
がある。
その上で、精神的豊かさを生み出す表現文化活動がある。
この世の仕事は、こうした目的を複合したものであろう。
ところが実際は、奪う愛の私利私欲獲得競争型事業が横
行している。
中共に取り入っている企業は正義よりも利権を優先する。
これが資本主義の信用を失い、一時的に「悪徳の栄え」
を演出するのである。
ほどなく自滅するのであるが、醜態を晒すのだ。
紅葉の美とは程遠い愁嘆場である。
中共に尾を振っている企業群の近未来であろう。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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