「アメリカ横断ウルトラクイズ」の国内予選というと、第一次予選が後楽園球場(1988年の第12回以降は東京ドーム)で、第二次予選が成田空港(1977年の第1回は、成田空港がまだ開業していなかったので、羽田空港だった)というのが定番だったけど、一度だけ、後楽園と成田の間に、もう一つ、国内予選会場が設けられたことがあった。
1987年の第11回大会の時、後楽園を通過した104名の挑戦者は、いよいよ成田へ向けて出発するというその日、日本テレビで受付を済ませ、何台かのバスに分乗して出発した。
ところが、バスが向かっている先がどうもおかしい。気が付くと、映像には「浦和」と表示された看板が。
浦和とは、言うに及ばず埼玉県の県庁所在地(当時。現在は、合併して「さいたま市」)で、成田とは全くの逆方向。何でバスはそんな所を走っているのか・・・、
そして、バスがやってきたのは、こんな住宅街。
ここでバスが停まり、挑戦者たちは降ろされた。
一体何があると言うのか・・・、
映像にはこの石碑は映っていないけれど、ここは、埼玉県岩槻市(現在はさいたま市岩槻区)にある、その名も
「久伊豆神社」。
「ひさいずじんじゃ」と読むのだけど、これが「くいずじんじゃ」とも読めることから、ここがこの年の第二次予選の会場となっていたのだった。
参道の様子。
映像では、ここを挑戦者が、画像手前の方向からずんずんと歩いてきている。
そして挑戦者の前に突然姿を現したのが、そう、番組の顔である、トメさんこと福留さん。
ちょうどこの鳥居の陰あたりから姿を現し、ここで第二次予選を行う旨を告げたのであった。
鳥居の上の方を拡大。
映像では、この辺りに「久伊豆神社」と書かれた小さな表示板があり、福留さんがそれを指して、
トメさん「諸君、これを何と読む!?」
挑戦者「クイズ神社!?」
トメさん「そう、『クイズ神社』!(中略)本年度、国内第二次予選は、この『クイズ神社』で行います!」
というやり取りがなされていた。
それだけに、その表示板がなくなっていたのは、何とも残念・・・。
第二次予選の方法は至って簡単。
挑戦者全員が特製の御神籤を引き、凶以外を引いた人はそのまま予選通過。凶を引いてしまった人のみ、早押しクイズに参加しなければいけないというものだった。
映像では、この位置からのシーンで、凶が出た時の、トメさんの「出た~~!」という声が響き渡っている。
映像では、二体の狛犬が、一瞬ずつだけど、アップで紹介されている。
結局、凶を引いてしまったのは三人。(映像では、早押しテーブルが五台用意されていたので、ひょっとすると、凶は最大で五本用意されていたということなのか?)
2ポイント先取の早押しクイズが展開され、結局負けてしまったのは、都内の葛飾から来たという女性挑戦者。
凶を引いた上にこんな所でまさかの敗退ということで、「大凶君」と書かれた鉢巻をトメさんから渡されてしまった。
参道の入口。
無事通過した103名の挑戦者は、今度こそ成田へと向かったが、敗れた挑戦者は、ここでバスを見送り、力なく「頑張ってね・・・」と呟いていた。
映像では、近所の子供達が何人か集まっていて、何事かという表情で、そのやり取りを見ていたのが確認できる。
そして、敗れた挑戦者は、スタッフの「さよなら~、気を付けてね~。運が悪いんだから気を付けてよ~」という言葉に見送られて、この踏切の向こうへと去って行ったのだった・・・。
(実際はこの後、翌日成田のジャンケンで敗れた挑戦者を愛知県へ連れ出して実施された敗者復活戦「名古屋縦断ミニトラクイズ」に、この挑戦者も参加していた。映像では、この挑戦者が小牧空港に先回りし、成田からやって来た51名の敗者達を出迎えるシーンがある)