いつもは記事の最後に載せている地図。
今日は最初に載せてみました。
この「日枝神社」という場所、近くまでは何度も行っているんだけど、ズバリこの場所には行ったことがなかったので、どんな場所だろうと思い、ちょっと行ってみました。
住宅街の一角にある「日枝神社」。
釧路の開基に大きな功績を残した「米屋」こと「佐野家」が「越後国三島(さんとう)郡寺泊(現在の新潟県長岡市)」の出自であることは、「佐野孫右衛門」の記事を書いたときに触れましたが、同じ越後国三島郡寺泊から、明治32年(1899年)、手繰網漁業に用いられる「川崎船」という帆船が釧路に進出し、タラ、スケトウダラ、カレイなどの沖合漁業に従事した記録が残されています。
川崎船に乗ってやってきた越後の漁民は、現在の釧路市旭町、川上町に定住し、この辺りは漁師町として繁栄しましたが、昭和2年(1927年)、新潟県北蒲原郡次第浜(現:北蒲原郡聖籠町次第浜)出身の漁師たちが、地元にある「日枝神社」から分霊勧請してできたのが、現在のこの神社です。
現在、この地は住宅街となり、ショッピングセンターもできるなど、こうして調べてみないと、かつて漁師町であったということは分からなくなっていますが、せっかくこういう歴史があるのだから、もっと広く周知されてもよいように思います。