昨日から束の間の夏休み。
最初は今週の月~水にしようと思っていたのだけど、水曜日に、ある機関との打ち合わせが入ってしまったのと、来週の火曜日と水曜日は、今後予定している大きな案件の対応が入る可能性があるので空けておこうと思ったことから、結局今週木曜日から、週末を挟んで来週月曜日までという、超変則的な期間設定にした。
それはいいのだけど、休み直前の一昨日になって、先ほど書いた「大きな案件」というのが、諸事情(不可抗力?)によりスケジュールが一か月延期になってしまい、来週火曜日と水曜日を空けておく必要がなくなってしまった。
正直、「なんだよそれ」って思ったけど、まあ、そこは愚痴っても仕方がないので、来週休み明けからまた頑張るとします。
今日は天気が良かったので、気分転換にサイクリングしてきました。その成果は後日また記事にします。
ところで、今、「愚痴っても仕方がない」と書いたけど、「愚痴」といえば、先日、いつもお邪魔している方のブログで、この「愚痴」がテーマになっていたのを読んで、ふとこんなことを思いました。
「ぐ」と読む漢字は他にもあるのに、何故「愚か」の「愚」が使われているのだろう?
ちょっと調べてみました。
「愚痴」の語源は、サンスクリット語の「moha」、という言葉で、莫迦(馬鹿)の語源とも言われているとのこと。
仏教用語ではこれを、「真理、道理に暗くて的確な判断ができず、迷い悩む心の状態」を指すのだそうで、これが転じて、「心愚かに、言っても仕方のないことをくどくどとこぼすこと」を、「愚痴をこぼす」と言うようになったのだそうです(江戸時代からとのこと)。
確かに、本来の意味からすれば「愚」の文字を充てているのもわかる気がするけれど、言う側にしてみれば、言っても仕方がないということは分かっていても、「誰かに聞いてもらいたい」とか「言うことで楽になる」ということだってあるわけだから、それを、「愚か」と言ってしまうのは、ちょっとどうなんだろうねという気がします。
その点からすると、誰かが、本来の意味どおりの「愚痴」をこぼしていても「んなこと言ったってしゃあないだろ」と突き放すのではなく、それはそれとして受け入れる、理解を示すということが大事なんだろうなと思います。
中には、共感(同情)の余地などないような「ワガママ」「身勝手」な主張もあると思うので、それを見極める境界線が難しい気もするけど、明らかに法に触れることや、世間の常識から大きく外れているようなことならともかく、そこまでいかないレベルなら、まずは理解を示して差し上げるべきなのでしょう。
それからもう一つ、「言っても仕方のないこと」という「愚痴」の本来の意味からすると、同じ文句や苦情でも、「そのとおり!」「素晴らしい!」「よく言った!」と共感、絶賛されるようなことは「愚痴」ではないということでいいのかな。
色々難しいけれど、本来の意味を知ったこれからは、このことを対人コミュニケーションに活かしていきたいと思います。