青空に高々と右手を掲げる像。
誰の像でしょうかね・・・。
「蝦夷地の龍馬像」。
そう、かの坂本龍馬の銅像なのです。
この銅像は、以前は、市電「十字街」停留所の側にあったのですが、一昨年10月に現在地へ移設されました。
「現在地」というのは↑のとおりですが、元々の設置場所が海抜約2メートルと低く、東日本大震災を契機に、津波が発生した際に浸水するリスクがあることを考慮して、移設が決定されました。
(移設前の龍馬像)
この像は、長崎市の「風頭公園」や「五島江ノ浜郷」の坂本龍馬像を手掛けた「山崎和國」氏の作品です。
(長崎の龍馬像)
ところで、「そもそも龍馬と函館(箱館)ってどういう関係があるの?」という疑問が浮かんでくると思います。
実は、坂本龍馬は、蝦夷地(現北海道)の開拓に大変な意欲を注いでいたとされており、在京の活気ある浪士達や、幕府の解体によって居場所を失いかねない若き侍達のエネルギーを、蝦夷地の開拓と防衛に向けさせようとしていたと言われています。
龍馬は、京都・摂津の浪人達と共に、幕艦「黒龍丸」で蝦夷地を目指す計画を立てていましたが、龍馬に蝦夷地開拓の話をしていた「北添佶磨」や、神戸海軍操練所の塾生であった「望月亀弥太」が、「池田屋事件」(京都三条木屋町の旅籠・「池田屋」に潜伏していた長州藩、土佐藩などの尊王攘夷派志士を、かの「新選組」が襲撃した事件)にて命を落としたことから、龍馬自らこれを断念したとされています。
結局、龍馬は、蝦夷地開拓の宿願を果たせぬまま、中岡慎太郎と共に京都・近江屋で暗殺されてしまいましたが、その遺志を継いだ坂本家の一族が北海道に渡り、札幌をはじめ、道内6ヶ所にその足跡を残しており、特に箱館(現函館)は、甥の「高松太郎」が「小野淳輔」の名で、明治新政府の一員として渡ってきたという事実が残っています。
「小野淳輔」こと「高松太郎」は、1871年(明治4年)に、朝廷から龍馬の跡目相続を命ぜられ、「坂本直」と名乗っています。
市民の憩いの場である「函館公園」に近い場所で、市電「青柳町」停留所から徒歩5分もかからない場所にあります。
観光の定番コースからは少し外れているかもしれませんが、オススメのスポットです。