南区澄川の歴史に関するスポットをもう一か所紹介します。
一昨日の「木挽山」こと「澄川公園」からは、少し離れています。
木挽山もそうですが、こちらもまた住宅街にあります。
まずはこの碑。
文字が二行書かれていますが、右側は何とか読めると思います。
「山之神」。そう、町の開拓に用いられた材木を搬出する木挽山に感謝を捧げる意味で、このように記されています。
では、左側の方は・・・、ちょっと読みにくいですね・・・。
「ムヒ」?虫刺されの薬ではありません。
実はこれは「熊之神」と書かれています。
開拓が進められていた当時、現在の澄川地域には野生の熊が多く出没し、人々の生活域にも被害を及ぼしていたそうなのですが、ある日、木挽山近くの山小屋で、熊が焚火の中に入り込んで焼死してしまうという出来事があり、哀れに思った人々がその熊を神として祀ったところ、それ以降、パッタリと熊の被害はなくなったという伝説があるそうです。
この碑は、明治43年(1910年)に建立されています。
こちらは、戦後の混乱期であった昭和21年(1946年)11月、人心の安定のために、山の神に縁があり、五穀豊饒の神である「豊受姫神」を祀るために建立されています。
「豊受姫神」とは、日本神話に登場する女神で、「古事記」によると、かの「天照大神」は、この神から五穀の種子を授かったとされています。
これは「新設大林碑」という記念碑。
「造林記念碑」ともいい、大正5年(1916年)9月、この近くにある「阿部造林山」の落葉松植栽20周年を記念して建立されたものだそうです。
一昨日の「木挽山」とこの場所は、以前、HBC(TBS系)の夕方ワイド「今日ドキッ」の「ほっかいどう歴史散歩」で紹介されていたので、興味を持って行ってみました。
今回の場所は、「木挽山」のエピソードほどクローズアップされてはいないようですが、「山之神」は開拓の歴史を語る上で欠かせない話だろうし、「熊之神」の方も、それ以降の地域の平穏に繋がっているということで、同じく歴史上欠かせない話なのだろうなと思います。
このコーナーも、不定期ですが、楽しませてもらっています。