まずはお詫びから。
昨日、今日アップする前提で、この記事を不完全な状態で下書き保存したつもりでいましたが、気が付かず公開しちゃってました。
数分後に気が付いて下書きに戻したのだけど、既に三件ほどリアクションを頂いており、大変失礼いたしました。
ということで、ここから本題です。
昨日の続き。
「福住厳島神社」の隣にある「開拓記念館」へ行ってみました。
写真撮影可ということなので、館内の様子を。
開拓当時の道具が多数保存されています。
お、「六軒村」という表示がありますね。
札幌市内には「二十四軒」や「八軒」という地名が現存し、中央区宮の森の一部地域も、かつては「十二軒」と呼ばれていました。
これらの地名は、いずれも、住民の戸数から取られたものですが、ということは、この「六軒村」というのも・・・?
やはりそういうことでしたか。
実は、「六軒村」の由来それ自体は知っていたのだけど、その「六軒」があったのが具体的にどの辺りなのかが分からなかったので、この記念館へ行って調べてみようと思った次第でした。
「発祥の地」というのもありますよ。
では早速行ってみましょう。
調べたところ、かつては「六軒村発祥の地」を記したプレートが設置されていたそうなのですが、十年ほど前に撤去されてしまったそうです。
何で撤去しちゃったんでしょうね。残念な話です。
と言いながら、先程の地図と写真を頼りに、地下鉄東豊線福住駅に近い住宅街へ。
場所はこの辺り。
先程の記念館の解説板に、「月寒川から南に6戸」とあります。
月寒川との位置関係も、当時のままです。
場所は分かったけれど、行ってみて残念だったのが、「十二軒」と違って、電柱に名前が残っていなかったこと。
「十二軒」も、「六軒村」と同じ、明治4年(1871年)にできた集落だそうだけど、電柱の地名に残る残らないはどういう違いがあるんでしょうかね・・・。
ともあれ、場所は分かりました。
痕跡らしいものがないとはいえ、こうして調べながら歩くのは、やはり楽しいものです。