龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

「エチカ福島」第2回セミナーのこと

2013年06月13日 23時24分34秒 | 大震災の中で
「エチカ福島」の仲間が書いた6/22第二回セミナーの告知文です。
よろしかったらぜひご参加下さい。

本文はこちらからの引用です。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=277590829053272&id=100004070714663

チラシはこちらを参照のこと。
第2回「エチカ福島」セミナーのお知らせ
http://pub.ne.jp/foxydog/image/user/1369493750.jpg

引用開始-------
何度も言うのも恐縮ですが、6月22日土曜日の1時から、福島県立美術館講堂で、エチカ福島の第2回セミナーを開催します。Yahooのブログにも書きましたが、改めて告知させていただきます。エチカ福島は、友人たちと共に立ち上げたプロジェクトです。二年前の震災と原発事故をきっかけにして僕なりに様々の事を感じ考えました。それは震災と原発事故以降にはじめて感じ考えたこともありますが、以前から感じ考えていたことがそれらをきっかけにして明瞭化したこともあります。
そのことについて、繰り返し友人と話したり、家族と話したりするうちに、そのことについてもっと多くの人たちと話をすべきだと思うようになりました。折しも、マスコミは、絆とか日本は一つとかいう言説を流通させていました。僕はそんな言説にいたたまれない思いでした。日本は一つどころか、僕には震災以降、この社会に様々な分断線、亀裂が走ってしまったように見えました。
今では僕の考えは少し変わりました。特に福島にある分断線は震災や原発事故以前から存在したにもかかわらず、私たちには見えなかっただけなのではないか、そんな風に思います。
今回発表をいただく丹治さんは新潟大学の先生ですが、妻有で行なわれる国際芸術祭の作家の一人です。妻有は新潟の中山間地域で、過疎化が進み方々が限界集落化している地域です。豊かな日本から見れば、まさしく経済原理のもとに切り捨てらた地域なのです。彼はアートを通してそこに住むお年寄りに寄り添うことは可能だろうかと考えた。お年寄りたちは、厳しい自然のなかで、長い時間をかけて培われた工夫によって共生してきた。それはアートのあり方そのものなのではないか。
同じ作家として参加された瀬戸内国際芸術祭のことを彼から聞いたことがあります。彼とは別の作家ですが、ハンセン病の療養所があった大島のプロジェクトに僕は衝撃を受けました。ハンセン病患者に対して私たちの社会は彼らを隔離し切り捨ててきました。そのことを鋭く問うプロジェクトでした。
福島には東京電力が所有する多くの原子炉が存在します。過酷事故が想定されるものだからこそ東京近郊ではなく福島にあるとうことは明らかです。その意味で原発事故以前に福島は切り捨てられていた。そして原発事故が起こり福島は汚染されました。これはある意味では想定どおりで、原発を東京近郊に作らなくて良かったということが証明されました。そうして事故の起こった福島は再び文字どおりに切り捨てられようとしています。
そういう福島に僕たちは住んでいます。福島に生きるための倫理とはいったいどんなものでしょうか?わかりません。しかし、私たちは考えたいのです。震災や原発事故以前に、福島はユートピアだったわけではありません。先ほどから僕は福島は切り捨てられていたと受動的であるかのように書きましたが、おそらくそれだけではないことも明らかです。私たちは震災や原発事故を以前と以降を分ける視点とともに、それをつなぐ視点も大切だと考えています。
今回は、アートでつながるってどういうことだろうか?というテーマで話し合いが行われます。
引用終了--------

遅まきながら「エチカ福島」の設立趣意書です。

2013年06月10日 18時49分29秒 | 大震災の中で

「エチカ福島」の設立趣意書です。

http://kitsuneinu.jugem.jp/?eid=527

二回目にようやくまにあいました。

簡単に枠付けられないもの。
フラジャイルなもの。
分断されている状態におかれたもの。

誰かの定義によっては世界の半分しか手にできないような種類のもの。
そういうものと向き合いながらなお、互いに響き合うことのできる周波数帯を探すこと、について語るのは、結構むずかしこったりもします。

倫理=エチカを語るのにかぜ「アート」なのか?
と思われるかもしれません。
丹治先生とは内容について語っていませんから、私個人の思い込みになりますけれど、自己の中から何かを表現するというだけでは表現の半分にしかたどり着いていない、ということを私はかんがえています。
安全なのか/危険なのか
ということ一つとっても、単純に誰かが決めてくれる時代はもう過去のものです。
そのとき、人はどうやって人と出会い直せるのだろう?
そう考えていくと、プロジェクトとしてのアートは、例えば鄭周河氏が、南相馬の写真を撮りつづけつつ、しかしその写真を南相馬の人と共有し得るかどうかについて、「深い逡巡」があったと語るような、そんな場所に立っているのではないか、と思うのですね。

そしてそういうところがもしあるとしたなら、これは「エチカ」の見出される「多数性」が響く場所でもあるはずだ。
そんな風に考えるのです。

「身近なことはあきらめられない」
という國分先生の第一回セミナーの言葉とも響き合うんじゃないか?
そんな風にも思うのです。
ともあれ、よろしかったら趣意書など、ご覧いただければ幸いです。



アートでつながるって何だろう?

2013年06月10日 00時40分37秒 | 大震災の中で
第二回「エチカ福島」セミナーを開催します。
テーマは「アートでつながるって何だろう?」
6/22(土)13:00より福島県立美術館講堂にて。

詳細はこちらを
http://pub.ne.jp/foxydog/image/user/1369493750.jpg

先ほどこのブログで触れた
写真家鄭周河さん(がドキュメンタリーで語っていたこと)と、深く響き合うテーマです。

アートに関心のある方も、福島の「今」に関心がある方も、ぜひ、6/22土曜は、福島県立美術館講堂においでくださいませ。

鄭周河さんについてはこちらを。
http://pub.ne.jp/foxydog/?entry_id=4923742





「奪われた野にも春はくるか」鄭周河のこと

2013年06月09日 16時51分44秒 | インポート

NHKこころの時代「シリーズ私にとっての3.11」「奪われた野にも春はくるか」写真家鄭周河を見た。

http://monodialogos.fuji-teivo.com/ubawaretanonimoharuhakuruka/comment-page-1#comment-2189

これはすばらしい番組だった。

同じシリーズで徐京植の番組の方は、切れ味が鋭い分だけズレがちょっと辛いモノローグになっていたのに対して、鄭周河のドキュメンタリーは、あくまで静かに、しかし深いところで対話=共振しているのを感じた。

できれば、二つを見比べてぜひ感想をお聞きしたい、と思うドキュメンタリー二本でした。

どちらも、南相馬市在住の佐々木孝さんという方のブログ「モノディアロゴス」からの引用です。
徐京植との対話の中で、
「ステイトでもなく、ネイションでもなく、カントリーなんだよね」という佐々木さんの声が響く。

おそらく、東京で大学の先生をしていた彼にとっての南相馬は、ずっと人生を生きた場所ではあるまい。
しかし、きっと、生きた時間の長さだけで「お国」が決まるというわけでもないのだ。


モノディアロゴス
http://monodialogos.fuji-teivo.com/

も、一度ぜひ訪問されたし。




大澤真幸2013/5/31現代社会論ゼミ第1回

2013年06月09日 09時54分13秒 | 大震災の中で
大澤真幸2013/5/31現代社会論ゼミ第1回の受講メモです。
例によって意味不明のところもあります。

不明なところがあって、かつ興味のある方は、ぜひ直接受講して見ることをお勧めします。

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いつも私は今考えていることをここではなしています。

今日は、意外な話をしたい。

北海道の浦河に「べてるの家」というところがある。
精神障害を持っている人たちが集団生活をし、そこで
「当事者研究」をしている。
その話をしたい。

どういうことか。先取りしていうと、
「社会を変えるにはどうしたらよいか?」
この社会には、根本的なところに問題があると考えている人が多いのに、変える方法が分からない、そういう状態じゃないかと思うんです。

先日大阪の生協の人と話をした。そのときに、社会を変革する最先端といえるであろう湯浅誠さんとはなした。そのとき、湯浅さんも分からないと言う。最先端の人も、どうやって変えればいいのか分からないでいる。

ということは、社会を変えるというけれど、その社会の「核」の部分をみんな逸しているのではないか?

そういうことを、「べてるの家」を補助線として考えてみたいのです。

まず、資料1を。

新約聖書では、パウロの書簡がもっとも重要です。
その「コリンと人への第一の手紙7章」からの引用。

各自はそれぞれが召された召し、〔まさに〕その〔召し〕の中に留まっていなさい。あなたが奴隷として召されたのなら、そのことで悩まないようにしなさい。しかし、たとえあなたが自由人になることができるとしても、あなたはむしろ〔神の召しそのものは大切に〕用いなさい……
兄弟たちよ、私はこのことを言っておく。時は縮められてしまっている。これからは、妻を持つ者たちは、あたかももたないかのようになり、泣き叫んでいる者たちは、あたかも泣き叫ばないかのように、そして喜んでいる者たちは、あたかも喜んでいないかのように、そして買い物を〔して何かを所有〕する者たちは、あたかも所有しないかのように、そしてこの世を利用している者たちは、あたかもそれを十分には利用していないかのように〔なりなさい〕。なえzならばこの世の姿かたちは過ぎ去るからである。

「召し」
とは神からの呼びかけのことです。この状態を大切にしなさい、ということ。

「時は縮められてしまっている」
これはパウロ的ですねえ。これは、神の国は近づいていることを前提にどう振る舞うべきかを言っている。
クリスチャンでなくても、ここにものを考えるヒントがある。
神の国がやってくる=いちばんの革命でしょう。


「革命の時、どうふるまうべきか?」
ということがかかれてある。

神の呼びかけに留まりなさい。
そして同時に距離を取りなさい。

ということだろう(ここ、重要)。

まずこれについての間違った解釈その1

仏教・老荘的とらえ、世俗の関心から距離をとる、重要離れれば離れるほどいい、という考え方。
出家→解脱→ニルヴァーナ

パウロが言うのは、こういう方向性とは違う。
なぜなら、神の国は地上に実現するものなのに対し、涅槃は輪廻の外だから

つぎにこれについての間違った解釈2

構築主義的にとらえ、社会の仕組みはフィクションだよね、とする考え方。

これも違う。
なぜなら、これでは革命は起きない。

<ここまでは前振り>
今日は、「べてるの家」と「パウロ」を相互参照していく。

進め方としては3つの話をしたい。

1,社会はどうして変わりにくいのか?
2,当事者研究(べてるの家)
3,パウロの話に戻る


まず
<<1,社会はどうして変わりにくいのか>>

変えてほしいことが変わらない。
変えてほしいが、どう変えるかというと、賛成できない。
で、結局社会は深みのある変わり方はしていない。

なぜか。

パウロは使徒ではないが、キリストの死後回心したリーダー的存在。

「なぜならば律法のわざによっては神の前で義とされることはないからである」

ここで示されているのは律法を超えた世界。律法のない世界。

「律法からの解放」が課題である。
キリストにとってもパウロにとっても。

「律法によっては罪の意識が生じるだけである」(からである)

罪とは律法(に反すること)によって生じる(パウロ)

※律法と罪には深いリンク(結びつき)がある。

共軛的関係、車の両輪だ、というのだ。

言い換えれば、

法と法の侵犯とは、反対の出来事ではなく、むしろ持ちつ持たれつの関係なのだ。

1C頃の話だけれども、現代社会を考える上で示唆的である。

別の話をしましょう。
映画評論家のリチャード・モルトビーが言っている。

1942年の『カサブランカ』で2番目に有名なシーンがある。
3.5秒の不可解なショット。

主人公リック(ハンフリー・ボガード)は、かつてかつて裏切った元恋人のイルザ(イングリット・バーグマン)とモロッコで再会する。
そして、かつての裏切りについて口論になる。
イルザには今夫がいる。
しかし、今でもリックのことを好きだ(少なくてもリックにそう思わせた)。

激しい口論

そして抱擁。

その後、3.5秒間不可解なショットが入る。
(空港の管制塔のサーチライトがぐるっと回る)

その後シーンはアパートに戻る。

つまり、
「二人はセックスしたのかしないのか」
と疑問を抱く。

いうまでもなく、多くの人は(当然)何かあったと思う。
あんなに熱烈に抱き合ったのだから。

☆このシーンは二種類の観客を想定している。

・妄想の働かない客
・妄想を働かせる客

まあ、映画のコードとしては(象徴分析としては)、管制塔は性的比喩、なあんてのは当然通俗的に解釈可能ですが、今はそれは措く。

洋服が乱れていなかったりもする。

「どちらともとれる」←モルトビーの解釈。

しかし、さらに突っ込んで解釈することもできる。

ジジェクが、言っているのは次のようなことである。

ここには真面目な観客とHな観客が二人いるのではない。
一人の観客の中に二つのアスペクトがある。

逆に

描かれていない→安心して妄想できる。
<オフィシャルには何もない>(行儀良さ)

<内面はご自由にどうぞ>(猥褻)

つまり、行儀良さと猥褻とには、持ちつ持たれつの関係がある。

これは社会の比喩にもなっている。

社会秩序=法規範
↓↑
罪・侵犯・反抗(依存状態は忘れている。それが基本)

☆一見反発しているようだが、そうではない。二つ相俟(あいま)って
一つの世界が成立しているのだ。

社会秩序=いわゆる第三者の審級には審判を見逃す盲点がある。

実は「侵犯」があった方が、むしろ秩序が安定する。

※先生の目を盗んで悪いことをしたりする、のがこれ。


☆☆☆だから社会は簡単に変わらない☆☆☆


次に、現代社会で起きていることというのは
(後期近代と呼ばれたりポストモダンと呼ばれたりしますが)

もう一ひねりされた状態になっている。・

映画『カサブランカ』は今みればむしろ古風。
今だったら、二人はソファに倒れ込むだろう。

現代社会は、昔隠れていた<依存>をあからさまにしてしまう。

よく言われる、reflexity (反省性)が存在する。
つまり、自分で「モニタリング」してしまうのである。

秩序

↑↓(かつてこの間に依存があることは忘却していた)
(今は分かっていてやっている)
侵犯

かつて、film noir ( というハードボイルド映画)の主人公は、
運命の女(ファム・ファタール)=悪女にかならずそれとなく誘惑され、翻弄される。
そしてその運命の女は最後には敗北する。

しかしニュータイプ、20C末以降のfilm noir は違う。

現代の運命の音は、あからさまにセックスの要求をしたり、最後には悪を完遂して、勝利してしまったりもする。

(「それをいっちゃあおしまいよ」がなくなった、ともいえる)

つまり、
今は
「あからさまに侵犯し、時には勝ってしまう」=罪の明示性
がある。

ではメジャーな秩序は壊されるのか?
そうではない。
あからさまに侵犯行為が行われても、メジャーな秩序を壊したりはしない。
むしろインパクトは弱いのではないか。

昔の悪女、最後には敗北する女の方が、インパクトは強かったのではないか。
(ツンデレ効果があった)というか。

では、社会秩序に対するプロテストはいかにして可能か。

へーゲルの指摘する人間の習性とも関連する。
オープンな侵犯行為は、隠れた領域を考えるようになる。

むしろ悪女のイメージは飼い慣らされていく。

これは古典的な政治的右と左にもいえる。

(右)保守 ← (左)リベラルがそれに対して反抗する


だが、自由に反抗できる、となると

左 ( )←ここが空白。
P.C.
行儀の良い正義

となり、かつてリベラルだった左が保守のいたところにずれこんで、ドミナントな秩序となる。
その結果、左の言う「正しさ」は、いかにも胡散臭い感じになってくる。

閉塞感を感じてしまう。

その結果、空白にはアナクロニスティックな主張がいい、となってくる。

これは、伝統的右翼ではない。
表現すると右翼っぽく、というしかない。
分かってて言っている、アナクロな右翼的言動が広がっていくことになる。


こんな状況の中で社会を変えていく行為は、どういうところから生じるのか

(ようやく2の話です)
<<2,当事者研究(べてるの家)>>

この、秩序と侵犯の関係は、個人の中でも生じる。関連がある。

そして、精神的な障害の症状に現れる。


ノーマルな社会秩序

距離

心身の症状(病い)

ここには持ちつ持たれつの関係がある。

全体社会(価値観・親・兄弟)
=直接的には家族
↑↓<無意識のプロテスト>
不適応・逸脱


※不適応は、家族と関係を持ちたい、一つになりたい願望でもある。

アルコール依存など、アディクション、摂食障害などは、
ある種の「共依存関係」。

本人たちは苦しんでいる。
しかし、無意識には、誰かを病気にすることでつながる……そういうことがある。

最初は本人が自覚していない状態のときは、それを個人の問題だと考える。

だが、しだいにそれを意識化していくと

患者にとっての家族と本人の間には共依存がある、という関係の病いだということが分かってくる。

つまり、それを意識化することによって治療する。

それが精神分析だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
精神分析の診療は、自由連想法をとる。

患者に自由に話させる(1時間ぐらい)。
分析意は後ろに立つ(黙っている)

無意識の欲望がその「語り」に出てくる。

分析者はそれを分析・解釈してあげる。
「実は抑圧された家族の問題だった」などなど。

これを本人が受け入れる

治る。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今もこのパターンは一応は続いている。

しかし、こういったフロイト的治療では治らないものが出てきた。
実はこのやり方では治らないものがたくさんある。

正しい解釈をしても
「だから何?」
「確かにそうなんですよ~」
といいながら、相変わらずアディクションという状態が続く場合が多い。


<みんなわかっている>でも相互依存が続いてしまう。

つまり、精神分析がなんらインパクトを持たない状態になってしまっている。

(たとえば在特会の取材を安田さんという人がやっていて、それを読むと、)

概ねは分かっている。
承認欲求があってやっている、というのは分かっている。
でも、どうしてもやってしまう。
解放されない。

で、「べてるの家」の話である

当事者研究をはじめた「べてるの家」

ポイントは何か?

社会における、そして人の心の中の
「循環関係からどうやって抜け出すか」
(舞城王太郎のいう「ぐるぐる魔神」ですな)

※やっているうちに自然にできあがった方法。

向谷地生良という北海道浦河町の精神科医

精神障害の人、川崎さんという統合失調症の人を治療しているときに出てきた方法。


しばしば耐え難くなって、川崎さんは「爆発」(癇癪を起こ)してしまうという症状を持っていた。
2001年に「川崎實の研究」をやってみないか、と向谷地さんが提案した。
すると、本人が「やります!」と目を輝かせたのだ。

「みつめなおす」「反省する」
ではない。
「研究」が大切だった。

1,問題と人との切り離し作業をする
2,自己病名を自分でつける。

医者がつけるのではない!
※ここがとても重要で、哲学的ポイントが存在する。

3,苦労のパターン、プロセス、構造の解明
4,自分の助け方や守り方の具体的な方法を考え、場面をつくって練習する。助ける主役は」「自分自身」であることが重要。

しかも、本人も含む共同研究。

「自分自身で共にやる構造」

ここがポイントだった。


川崎さんの爆発は癇癪を起こして物を壊したりすること。

それは親に対する要求から始まる。
「すしを食べたい」

なぜなら、必ず親が嫌な顔をするから。
すると、爆発の準備が整う。

爆発の瞬間は快感を伴う。

親の承認を求めるが、いくら積み重ねても足りない。

できっこないことをわざと要求する。

たとえば、「夜、すしもってこい」という。
最初は親もいやがり、困るだけだが、しだいに暴れるので、なんとかして夜中にすしを調達したりもするようになる。
しかし、だからといって満足するのか、というとそうはならない。

そして、どんなに承認されてもまだ足りない。

破壊行動となる。


☆つまり、反抗の仕方こそが依存の仕方であり、
反発こそ愛の構造。

☆肝心なことは、それで症状が消えて治るのではない。

そうではなく、
「症状と良くつきあえるようになる」

たとえば幻聴の症状があるとする。
困るから薬で消すとする

幻聴が薬で消えたから爽快になる、というわけではない。

むしろ「幻聴さん」と呼びかけ、幻聴と仲良くなる。

つまり
「症状と共に生きる」
のだ。

相互依存関係が病を作っている。
とすれば、爆発=症状は問題の
「表現形」である。

であるならば、症状=表現を消せばいい、というものではない。

関係不全の表現が症状なのだから、共依存から抜け出すためには、症状を消せばいいというものではない。

不全感=症状の「平和利用」が重要。
苦痛に感じるだけでなく、活用しながら、悪循環の関係から抜け出すルートを探し出すこと。

<<3,パウロの話に戻る>>

当事者研究のどこがおもしろいか。パウロとの関係がある。

パウロのやり方の現代版の一つが当事者研究なのではないか。

A=神に呼びかけられている
A'=症状に呼びかけられている(幻聴や幻覚)

A
・ここにとどまりなさい
・同時に距離を取りなさい

A'
・症状とつきあう
・研究するという距離感(スタンス)

当事者なのに、当事者ではないかのように考える。
つまり、他人事のように考えるのが大切。

これは仏教の達観とは違う。
悟り=世界から距離をとるのではない。
つまり生が=一切皆苦でそこからの解脱を目指す、ではない。

自分の症状とは距離をとるが、世界に対する関心を失わないこと。
苦労を引き受けることが大切。

生きるために商売するときも、世界への関心を失ってはいけない。
いちばん大切なもののためには他のことは二次的になる。
優先順位。

世界=家族との根っこが大切。

世界に対して関心を持つことが大切。
そういう戦略目標を持つと、他は二次的になる。

ただし、
パウロ= べてる
似ているところがある、おなじだね、だけではつまらない。
パウロの7章………パウロの13章
↓↑ ↓↑
べてるの家………( )

この空白につながる共通性を考えていく。

資料3パウロ「コリント人への第一の手紙13章」

もしも私が、人間の、そして御使いたちの言葉によって語りはしても、しかし愛をもっていないなら、私は鳴り響く銅鑼によってか、あるいは甲高くなるシンバルと化してしまっている。またもしも私が予言をなし、さらにすべての奥義とあらゆる知識をもってはいても、またもしも私が山々を移すほどのあらゆる信仰をもってはいても、しかし私が愛をもっていないなら、私は無である。たとえ私が、私のすべての財産を分け与えられたとしても、またもしも私が私の身体を誇るために(焼かれるために)引き渡しても、しかし私が愛をもっていないなら、私は何の役にも立たない。
愛は決して倒れることがない。しかし、それは予言であれば、壊されるであろう。異言であれば、途絶えるであろう。知識であれば、壊されるだろう。なぜなら、私たちは部分的に知っているに過ぎないからであり、そして部分的なものは壊されるであろう。……実際私たちは、今は鏡において謎のようなかたちを見ているが、しかしその時には、顔と顔を合わせてみるであろう。今。私たちは部分的に知っているに過ぎないが、しかしその時には、私が知り尽くされたように、私も知り尽くすことであろう。そこで今や、信仰、希望、愛、これら三つが存続する。しかし、それらのうちで最も大いなるものは、愛である。


これをあっさり読むと
「愛がいちばん大事」
となる。
でも、それじゃあポイントはつかめない。

ここでは、前半と後半で

知識の完全性・普遍性と愛との関係がねじれている。ずれているところに注目すべきだろう。

前半は、知識の向こう側に愛がある感じ。

後半は、知識は部分的な知識しかない時でも愛がある(存続する)といっている。

「そのときには私も知り尽くすことであろう」は、救済の時のこと。

「知識は部分的」、というのと、ここに「愛がある」
というところの関連性に注目したい。

鏡の比喩がある。
人は「顔と顔を見合わせてみる」レヴィナス

他者の顔を見るとは、他人を知るということだろう。

たとえば、他者を全て熟知していると思う(知識の完全性)。
しかし、他人とは、知らないから不気味なのではない。
全てを知っている、あの人のことは知っている……にもかかわらず……まだ残っている嘘や未知ではないにもかかわらず、そこにはまだ分からないことがのこっている。

(実は知らなかった、ではない。)

その「+α」が重要。

ある観点では完全ではあるが、向こう側が残っている。
向こう側がある=愛
じゃあ、その+αは?
それは「無」だろう。

パウロが要求しているのは、次のようなことではない

「知っているだけでは不完全で、愛があれば完全になる」

決してそうではない。

むしろ、愛までを計算に入れるとすれば、自分についてのアイデンティティが壊れてもそれは残る。
知っているのだが汲み尽くせない。
いくら知っても汲み尽くせない。

そこに「愛」が存在するということではないか。

人を好きになるとき、完全な人を愛するわけではない。
くだらないところ、ゴミっぽいところ、無なところを愛している。

普通は完全な方がえらい。

愛はそこが変わる。
無=ゴミ=欠落
そこを愛する。

(「当事者研究」と、このパウロ「コリント人への第一の手紙」13章はそこで関連する)

当事者研究によって自分を知り尽くす。
しかしそれは全てではない、という感覚。
では何が+αなのか?

それは、なにもないこと。無に到達することだ。

自分自身で自分を知る。

「自分で」他者と「共に知る」

不完全性を通じて他者との関係、愛したり愛されたりすることになっていく。


結論。

なぜこの社会は変わらないのか?

人が本当の意味で


<愛するものとしての無>
<愛されるものとしての無>

を受け入れられないから。

何かでありたい、無を超えた何者かでありたい、そう思った瞬間、執着が起こる。
つまり「ツンデレ」関係が生じてしまう。

何者でもないものこそ、愛したり愛されたりする。

しかし、ここは重要だが、決してそれは

反知性=愛

ではない。
それは違う。

知る無力さを経由しなくても、無でありつつ愛し愛されることができないのだ。



後は次の講座へ続く。
(以上)
質問1
どうすればいいのか、ということころがよくわからない。

まず法=規範によって守られる世界がある。
それを侵犯する側は、持ちつ持たれつの関係がある。

だから、「法が全てではない」「法・規範には解消できない願いや欲望、願望がある」

と思って、法を逸脱するとする。

しかし外部にそういう願いや欲望、願望を設定すると、むしろ潤滑油になってしまう。

※外部に法に回収できないものが合った法が、法にとってはむしろ都合がいい。時々そういうものがあったほうが、法はむしろ存続しやすい。

つまり、法に対抗して侵犯の側にSOMETHINGを設定すると、むしろ法にとっては安全になる。

法から逃れる「心の宝物」を設定するとむしろ法の射程内に入る。

むしろそこに何もないとなったときに、弱いものとして受け入れるときに、むしろ法にとっては驚異になる。

これは学問がやることではないかもしれないが。

法ー侵犯の関係はきわめてタイトであって、逃れにくい。
しかし、穴はあるだろう。

質問2
新型うつはどうか?

今回べてるの家を例にだしたが、当然のことながら本当はケースバイケース。

アディクション、うつ、統合失調症、いろいろ違う。

関係との結びつきは新型うつの方が強いかもしれない。

統合失調症は転移しにくい。距離をとっているから。

(時間になりました)



第2回「エチカ福島」セミナーのお知らせ

2013年06月09日 01時55分06秒 | インポート
「エチカ福島」第2回セミナーは
6/22(土)13:00~、
福島県津美術館講堂で開催されます。
資料代は500円(美術館の常設展示チケット付きです)。

今回は、地域アートプロジェクトの活動を続けている新潟大学の丹治先生の報告をいただき、

「福島でつながる」

ことの可能性と意味を考えたいと思います。


日本は一つとか東北は一つ、といった大きな括り方や単発のイベントでは、福島の中に走る無数の分断線の存在を踏まえた上で繋がっていくことは困難だ、と私たちは考えます。

私たちは、身近な人たちとさえ簡単には繋がれないもどかしさ、ズレを抱えて生きています。

そのズレをなかったことにはできない。


その「差異」=「分断線」を抱えたままで、どうやったらもっと「緩く」、もっと「根底的に」、響き合うことができるのかを考える必要があると思うのです。

丹治さんは、新潟の町中でも、過疎地域の限界集落でも、地道に、丁寧な活動でその「場所」におけるアートの活動によって人々が出会い、繋がる「時間」と「空間」を組織しつづけてきた、プロフェッショナルです。

私たち「エチカ福島」が彼の話を伺いたいのは、大きなフレームを最初から当てはめてしまうのではなく、身近な、今この身体を抱えたこの場所と時間から、人と出会っていくという小さくて大切な「場所」について思考し行動しつづける実践者だからこそ、なのです。

ぜひ、6月22日(土)は、福島県立美術館の講堂においでください。
13時~16時まで、福島における地域アートの可能性、そしてそこを起点とした、福島に共に住む者たちの「ともがらのことわり」(エチカ)について、ゆっくりと話をしてみませんか。




徐京植の「フクシマを歩く」というEテレの番組を見た。

2013年06月09日 01時30分35秒 | 大震災の中で
徐京植の「フクシマを歩く」というEテレの番組を見た。

Eテレこころの時代「シリーズわたしにとっての3.11」
「フクシマを歩いて」
http://www.tunesbaby.com/dm/?x=xqwaeh

非常に共感できるところと、置いてきぼりを食らわされるところのギャップが大きかった。
ここにも分割の線が引かれているのだな、と感じる。

国家と暴力について捉えるためのフレームを、徐京植氏はどうしても更新する必要があるのではないか。
個々の問題については、きわめて示唆に富んだものを取り上げ、指摘もしている。
それだけに、見ていて辛い思いが募った、というところもある。

何が問題か、というと、大きな「国家」とか「全体主義」とかいったフレームに議論が寄りかかりすぎていて、事件の現場の傍らにずっと寄り添う膂力が不足している、というところだろう。

プリモ・レーヴィや原民喜が引用されているが、文学的な力のある表現だけに、引用と彼の言説のズレが見ていて少々しんどかった。
フクシマでの取材も、悪いが浅い。彼のフレームを再確認するだけの取材に終わってはいないか。


ズレが悪いというのではない。
彼の言説と文学者の言説のズレに無自覚であり、かつにも関わらず、「裂け目」の近傍に立っているという「フレーム」感覚だけは残している、ように、こちら側に映ってしまうところがしんどいのだ。

繰り返すが、指摘されているポイントにはうなずけるし、分析もあさっての方向、というわけではない。

私はしかし、彼の考える考え方のフレームではなく、考えていかねばならない、という思いを強くした。