風月庵だより

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お葬式の費用

2006-08-17 13:28:58 | Weblog

8月17日(木)曇り時々雨(台風10号九州方面に接近)【お葬式の費用】

テレビ東京の『ガイアの夜明け』という番組で「葬儀をプロデュース”変貌するニッポンのお葬式”」というご葬儀に関する放映があった。(8月15日22:00)やはり僧侶へのお布施よりも、多額にかかるのは葬儀社への支払いであることが、これを見た人は納得がいったのではなかろうか。

先日【初七日のご供養】という題で、私も葬儀社の事に触れたが、葬儀社では葬儀をプロデュースする、という営業方法が取り入れられているようである。葬儀社のプロデュースした「ご葬儀」というお芝居において、僧侶はあくまでも僧侶という一役を演じているように思う。

そのことについては今は述べないが、300万円、500万円などという葬儀社に対しての支払いの金額は、どうしたらはじき出されるのか疑問である。300万円と言われたのに、葬儀の後で500万円と言われた人がいるそうだが、それも首を傾げる話である。家族を失うという遺族の悲しみにつけ込み、また滅多に経験しないことで遺族の無知につけ込んで、悪徳な商売をしているとしか考えられない。

しかし、このような葬儀社は極く僅かではないかと思う。善良な葬儀社も多いはずである。テレビはどうしても一面を強調したい傾向があるので、うっかりとそのまま受け入れるわけにはいかない。それにしてもご葬儀の生前予約には少なからず驚きを覚えた。これはアメリカの葬儀社が日本に参入してきているようだ。生前予約の場合は後から一切の追加支払いはないというが、現代的というにしても、そこまで行ったかという感じがする。

人間の死が商売になるということは、いかにも平和ボケの象徴であろう。恵まれない国の人々には考えられない現象であろう。僧侶もそれに乗じて商売をするような感覚でご葬儀を受けてはならないだろう。勿論寺は人々のご葬儀やご法事のお布施で生かされている。私もそのお陰で生活が成り立ってはいる。

しかし商売という考えはない。商売においては利潤を考えることは大事なことであるが、僧侶が勤めるご葬儀やご法事は商売ではないので、利潤を追求することはおかしいだろう。戒名も売り物ではないので、よくよく注意が必要だろう。有る人は有るように、無い人は無いように仏教に対しての帰依の 心を表してもらえれば、よいのではなかろうか。

僧侶の労働の対価とは違うのであるから。それでもそれなりの労働であると私は思うが。きれい事では世の中のことは回っていかないし、ましてお金の絡む問題なので一面的には語れないが、葬儀社の問題と僧侶の問題は、全く別の次元で論じられる問題であろう。どんな商売でもあまりあこぎなことをすれば、天の助けが無いはずだ、と理想主義の私は思っている。

誰もが納得できるような金額でご葬儀が執り行われますようにと、願ってやまない。(ご葬儀相談窓口がインターネット上にありますから、参考になさったり、やはり誰にもやってくる死のことですから、日頃から信頼のおける葬儀社さんを調べておくことは賢明かもしれません。またお寺に相談しておくのが賢明でしょう。)