8月19日(土)晴れ【台湾の尼僧さんと信仰についての話】
今朝の朝焼けはあまりに美しく、坐禅もしないで空に見入ってしまった。修行者としてはどうも怠け者である。
今日の休みは台湾からの留学生K尼を食事に招待した。私が腕を振るってご馳走を作った。K尼も本場仕込みの餃子を担当してくれて、久しぶりにご馳走が食卓に並んだ。風月庵は基本的に玄米菜食だが、多少の魚は頂く。しかし台湾の出家者は戒律で一切の動物性の食べ物は禁じられている。汁物のだしにも使えないので、今日は完全菜食の料理である。
さて昨日私は白衣の繕いをしたが、日常に着る服はそれほどに穴もあいていない。しかしK尼の身につけている法服はあちこちが繕われている。襟も何回も別布で繕ろわれている。K尼は夏の法服も冬の法服も2枚ずつしか持ってはいない。つくづくその姿勢とその穴のかがられた法服は美しく私の目には映る。
今日はK尼のお母さんがお亡くなりになるときの話をお聞きし感動した。お母さんはとても信心深い人で、いつも阿彌陀様の御名を心からお唱えになっていた人だという。そしてある日のこと体調はどこも悪くないと云うのに、「私は二週間後に亡くなるだろう」と云ったのだという。K尼は信じられなかったそうだが、お母さんはご自分の財産を、お葬式の時の僧侶へのお布施を残して、それ以外は全てあちこちのお寺に寄付してしまったのだという。
子供たちに分けたところでそれは何の意味もないこと。お寺に寄付をして功徳を頂くのだという。そして倒れる瞬間まで元気であったそうだが、予言通りにお亡くなりになったのだという。その体は数時間たっても柔らかく、お顔はつやつやと輝いていたという。K尼が出家したのはその後だそうだ。
「日本のお寺はどうして誰もが自由に出入りできないのでしょうか」と、K尼は言った。「台湾のお寺はいつも開け放たれていて、誰でも自由にお参りをし、坐禅をすることができます」「そして日本の仏像はどうして暗い中で見えないのでしょう」「台湾の仏像は大きくてどこからでも見えます。そしてその前で小さな自分を、大きな仏様の前で反省することができます」
本当にこの二点は日本の仏教寺院の特徴ともいえよう。それは寺院がそれぞれの地域の特定の檀家さんたちによって守られてきている事にも一因はあるだろう。寺は社会に開かれているようであるが、実は檀家さんの寺でもある。勝手に誰でも出入りすることはしづらい一面がある。
仏像については文化財好みの民族性にもよるであろう。芸術的な仏像や、彫刻として勝れた価値のあるものを好む傾向がある。礼拝の対象としての仏像を、民衆からかえって遠ざけてしまっているように思う。
仏像は礼拝の対象であること、帰依の気持ちを表す対象の一つであることに意味があるのに、二次的な価値観のほうが強くなってしまっていることは残念であると思う。寺も仏像も僧侶も、人々にとっては福田である。布施をし、信じることによって福徳を生み出す場所である。布施をすることによって、お金に対しての執着心を無くす助けともなる。
台湾ではその布施によって、僧侶たちは修行の日々を送ることができるのである。
一日と十五日には布薩(フサツ)といって、比丘・比丘尼それぞれ250戒と348戒を唱えその後合同で『梵網經(ボンモウキョウ)』を誦し、懺悔することのある僧は皆の前で懺悔するのだそうである。これに要する時間はいつも2時間半ぐらいだそうである。
日本の仏教は戒律の数も大乗戒(十重禁戒、三聚淨戒)なので少ないが、僧堂修行時代に『梵網経』を誦したことは数回の記憶しかなかった。永平寺や總持寺では布薩は行われているのであろうか。
それぞれの国の風土や民族性や歴史によって、宗教も培われていくのであり、単純に比較はできないが、台湾の寺院のありかたに学ぶべきことは多い。ただ台湾は僧侶の数が日本の比較ではない。一寺院に二,三百人はいるのだから、ほとんど家族だけで構成されている日本の寺院とは全く異なっている。
日本では仏教に対しての帰依の心を素直に持っている人々が少ないことは残念なことである。仏教を信仰として持てれば幸福なことなのだから。
今日は台湾のK尼を招待して教えを受けた一日であった。
今朝の朝焼けはあまりに美しく、坐禅もしないで空に見入ってしまった。修行者としてはどうも怠け者である。
今日の休みは台湾からの留学生K尼を食事に招待した。私が腕を振るってご馳走を作った。K尼も本場仕込みの餃子を担当してくれて、久しぶりにご馳走が食卓に並んだ。風月庵は基本的に玄米菜食だが、多少の魚は頂く。しかし台湾の出家者は戒律で一切の動物性の食べ物は禁じられている。汁物のだしにも使えないので、今日は完全菜食の料理である。
さて昨日私は白衣の繕いをしたが、日常に着る服はそれほどに穴もあいていない。しかしK尼の身につけている法服はあちこちが繕われている。襟も何回も別布で繕ろわれている。K尼は夏の法服も冬の法服も2枚ずつしか持ってはいない。つくづくその姿勢とその穴のかがられた法服は美しく私の目には映る。
今日はK尼のお母さんがお亡くなりになるときの話をお聞きし感動した。お母さんはとても信心深い人で、いつも阿彌陀様の御名を心からお唱えになっていた人だという。そしてある日のこと体調はどこも悪くないと云うのに、「私は二週間後に亡くなるだろう」と云ったのだという。K尼は信じられなかったそうだが、お母さんはご自分の財産を、お葬式の時の僧侶へのお布施を残して、それ以外は全てあちこちのお寺に寄付してしまったのだという。
子供たちに分けたところでそれは何の意味もないこと。お寺に寄付をして功徳を頂くのだという。そして倒れる瞬間まで元気であったそうだが、予言通りにお亡くなりになったのだという。その体は数時間たっても柔らかく、お顔はつやつやと輝いていたという。K尼が出家したのはその後だそうだ。
「日本のお寺はどうして誰もが自由に出入りできないのでしょうか」と、K尼は言った。「台湾のお寺はいつも開け放たれていて、誰でも自由にお参りをし、坐禅をすることができます」「そして日本の仏像はどうして暗い中で見えないのでしょう」「台湾の仏像は大きくてどこからでも見えます。そしてその前で小さな自分を、大きな仏様の前で反省することができます」
本当にこの二点は日本の仏教寺院の特徴ともいえよう。それは寺院がそれぞれの地域の特定の檀家さんたちによって守られてきている事にも一因はあるだろう。寺は社会に開かれているようであるが、実は檀家さんの寺でもある。勝手に誰でも出入りすることはしづらい一面がある。
仏像については文化財好みの民族性にもよるであろう。芸術的な仏像や、彫刻として勝れた価値のあるものを好む傾向がある。礼拝の対象としての仏像を、民衆からかえって遠ざけてしまっているように思う。
仏像は礼拝の対象であること、帰依の気持ちを表す対象の一つであることに意味があるのに、二次的な価値観のほうが強くなってしまっていることは残念であると思う。寺も仏像も僧侶も、人々にとっては福田である。布施をし、信じることによって福徳を生み出す場所である。布施をすることによって、お金に対しての執着心を無くす助けともなる。
台湾ではその布施によって、僧侶たちは修行の日々を送ることができるのである。
一日と十五日には布薩(フサツ)といって、比丘・比丘尼それぞれ250戒と348戒を唱えその後合同で『梵網經(ボンモウキョウ)』を誦し、懺悔することのある僧は皆の前で懺悔するのだそうである。これに要する時間はいつも2時間半ぐらいだそうである。
日本の仏教は戒律の数も大乗戒(十重禁戒、三聚淨戒)なので少ないが、僧堂修行時代に『梵網経』を誦したことは数回の記憶しかなかった。永平寺や總持寺では布薩は行われているのであろうか。
それぞれの国の風土や民族性や歴史によって、宗教も培われていくのであり、単純に比較はできないが、台湾の寺院のありかたに学ぶべきことは多い。ただ台湾は僧侶の数が日本の比較ではない。一寺院に二,三百人はいるのだから、ほとんど家族だけで構成されている日本の寺院とは全く異なっている。
日本では仏教に対しての帰依の心を素直に持っている人々が少ないことは残念なことである。仏教を信仰として持てれば幸福なことなのだから。
今日は台湾のK尼を招待して教えを受けた一日であった。