9月9日(土)曇り【華綾慧春尼その3ー円覚寺にて】
今日は重陽の節句である。本来なら陰暦なのでもう少し後になるが、現在は太陽暦に合わせているので季節的には少し早取りの感がある。菊の節句とも言うようで、お酒の中に菊の花を浮かべて飲み健康長寿を祝うと、暦に書いてある。中国では「登高」といって丘に登る行楽の行事があったようである。(現在は如何か?)日本では宮中では奈良時代から観菊の宴が催されたそうである。
そして今日は先師の誕生日である。お亡くなりの後も、娘さん達と誕生日にお祝いをしているのだが、今年はいろいろとあって後々になりそうである。遷化後もお誕生日のお祝いというのもおかしいようだが、天で生き続けていらっしゃるようなそんな気もするのである。
そこで今日はお酒に菊を浮かべてお供えした。菊水の一番しぼりに黄色の菊を浮かべた。私もちょっとお相伴したら、思わず「うまい」と一言。さて昨日に引き続き慧春尼様についての史伝の続き。今日のところはなんだかきわどい話で、史実であろうか疑問であるが、尼僧であるが故に男僧の中でご苦労されたのであろうと思われる。そのご苦労の一端とみておこう。(実は私は、慧春尼様が女性であるが故にきわどく誇張され、脚色されているのではないかと、疑っているのであるし、心外にも思っているのである。)
〈原文〉
當時鎌倉瑞鹿山。常安千指。龍象雑還。諸方憚登其門。菴將使使於瑞鹿。衆皆難之。師告菴曰。尼應奉命使乎。菴曰。可也。師登鹿山。彼衆既知師之機鋒難當。將出於非意。挫折其鋒。及師拾階進。有一僧突出。以手高摳裳。怒陰逆立曰。老僧物三尺。師亦摳裳擘開牝戸曰。尼物無底。一衆懡羅罷。
〈訓読〉
當時(そのかみ)鎌倉の瑞鹿山には、常に千指を安し、龍象雑還(ざっかん)せり(雑踏する混み合う)。諸方、其の門に。登ることを憚れり。菴、將(まさ)に使を瑞鹿に使わんとす。衆、皆之を難し。師、菴に告げて曰く、「尼は命を奉り使いに應ぜん。」菴、曰く、「可なり。」師、鹿山に登る。彼の衆、既に師の機鋒、當り難しことを知る。將に非意を出で、其の鋒を挫折せんとす。師、階を拾いて進むに及び、、一僧有りて突出す。手を以て高く裳を摳(かか)げ、陰を怒して逆立して曰く、「老僧の物、三尺。」師また裳を摳げ牝戸を擘開(びゃくかい)して曰く、「尼の物は無底なり。」一衆の懡羅(まら)罷(おわ)れり。
訓読をお読みいただければ大体の所はご理解頂けると思うが、蛇足ながら解説を。鎌倉の円覚寺に了菴禅師が使いを出したいのだが円覚寺には強者の修行者が多く、だれも使いに行きたがらない。そこで慧春尼が私が参りましょう、ということになった。円覚寺の雲水たちは、慧春尼の禅の矛先が一筋縄ではいかないことを耳にしていたので、ひとつギャフンとさせてやろうということになった。
慧春尼が円覚寺の階段を上がってくると、一人の僧が突然にその前にはだかった。そして衣の前を高くかかげて、自分の一物を見せ、「老僧の一物は三尺なり」と言った。すると慧春尼もすかさず衣の裾をまくって見せ、「尼が物は底無しなり」と応答したのである。この僧は途端にシュンとなってしまった。
〈原文〉
遂上函丈坐定。堂頭顧視侍者曰。點茶將來。侍者點茶於澡盤來與師。師轉奉堂頭曰。此是和尚常用底茶盞。請和尚喫。堂頭不能答。師名自是大振矣。
〈訓読〉
遂に函丈に上って坐定す。堂頭(どうちょう)、侍者を顧視して曰く、「茶を點じて將來せよ。」侍者、澡盤に茶を點じ來りて師に與う。師、轉た堂頭を奉って曰く、「此は是れ和尚常用底の茶盞なれば、請う和尚喫せんことを。」堂頭、答うること能わず。師の名是れより大いに振う。
もう一つの円覚寺でのエピソード。門前でのやりとりを無事に通過した慧春尼が方丈の間に通された。円覚寺の住持は侍者を振り返って、「お茶をお持ちしなさい」と言われた。すると侍者は洗い桶にお茶を淹れて慧春尼に差し出した。慧春尼は住持に申し上げた。「これは和尚様日頃お使いのお茶碗のようでございます。和尚様どうぞお飲み下さり、飲み方をお教え下さいませ。」住持は、やられたと思って言葉に詰まってしまった。慧春尼の名声はいよいよふるったのである。
*このようなお話だが面白いと思う方もいらっしゃるだろうし、慧春尼に対して失敬な、と思われる人もいらっしゃるだろう。私は思い入れが強いので、失敬なと思っている。
しかし史実であるかもしれない。慧春尼は少しのことでは動じない、強い神経をお持ちであったことは事実であろう。事実はどうであったか分からないが、このように気丈に生き抜いた方であったということだろう。その気迫は学びたいと思う。[続く]
今日は重陽の節句である。本来なら陰暦なのでもう少し後になるが、現在は太陽暦に合わせているので季節的には少し早取りの感がある。菊の節句とも言うようで、お酒の中に菊の花を浮かべて飲み健康長寿を祝うと、暦に書いてある。中国では「登高」といって丘に登る行楽の行事があったようである。(現在は如何か?)日本では宮中では奈良時代から観菊の宴が催されたそうである。
そして今日は先師の誕生日である。お亡くなりの後も、娘さん達と誕生日にお祝いをしているのだが、今年はいろいろとあって後々になりそうである。遷化後もお誕生日のお祝いというのもおかしいようだが、天で生き続けていらっしゃるようなそんな気もするのである。
そこで今日はお酒に菊を浮かべてお供えした。菊水の一番しぼりに黄色の菊を浮かべた。私もちょっとお相伴したら、思わず「うまい」と一言。さて昨日に引き続き慧春尼様についての史伝の続き。今日のところはなんだかきわどい話で、史実であろうか疑問であるが、尼僧であるが故に男僧の中でご苦労されたのであろうと思われる。そのご苦労の一端とみておこう。(実は私は、慧春尼様が女性であるが故にきわどく誇張され、脚色されているのではないかと、疑っているのであるし、心外にも思っているのである。)
〈原文〉
當時鎌倉瑞鹿山。常安千指。龍象雑還。諸方憚登其門。菴將使使於瑞鹿。衆皆難之。師告菴曰。尼應奉命使乎。菴曰。可也。師登鹿山。彼衆既知師之機鋒難當。將出於非意。挫折其鋒。及師拾階進。有一僧突出。以手高摳裳。怒陰逆立曰。老僧物三尺。師亦摳裳擘開牝戸曰。尼物無底。一衆懡羅罷。
〈訓読〉
當時(そのかみ)鎌倉の瑞鹿山には、常に千指を安し、龍象雑還(ざっかん)せり(雑踏する混み合う)。諸方、其の門に。登ることを憚れり。菴、將(まさ)に使を瑞鹿に使わんとす。衆、皆之を難し。師、菴に告げて曰く、「尼は命を奉り使いに應ぜん。」菴、曰く、「可なり。」師、鹿山に登る。彼の衆、既に師の機鋒、當り難しことを知る。將に非意を出で、其の鋒を挫折せんとす。師、階を拾いて進むに及び、、一僧有りて突出す。手を以て高く裳を摳(かか)げ、陰を怒して逆立して曰く、「老僧の物、三尺。」師また裳を摳げ牝戸を擘開(びゃくかい)して曰く、「尼の物は無底なり。」一衆の懡羅(まら)罷(おわ)れり。
訓読をお読みいただければ大体の所はご理解頂けると思うが、蛇足ながら解説を。鎌倉の円覚寺に了菴禅師が使いを出したいのだが円覚寺には強者の修行者が多く、だれも使いに行きたがらない。そこで慧春尼が私が参りましょう、ということになった。円覚寺の雲水たちは、慧春尼の禅の矛先が一筋縄ではいかないことを耳にしていたので、ひとつギャフンとさせてやろうということになった。
慧春尼が円覚寺の階段を上がってくると、一人の僧が突然にその前にはだかった。そして衣の前を高くかかげて、自分の一物を見せ、「老僧の一物は三尺なり」と言った。すると慧春尼もすかさず衣の裾をまくって見せ、「尼が物は底無しなり」と応答したのである。この僧は途端にシュンとなってしまった。
〈原文〉
遂上函丈坐定。堂頭顧視侍者曰。點茶將來。侍者點茶於澡盤來與師。師轉奉堂頭曰。此是和尚常用底茶盞。請和尚喫。堂頭不能答。師名自是大振矣。
〈訓読〉
遂に函丈に上って坐定す。堂頭(どうちょう)、侍者を顧視して曰く、「茶を點じて將來せよ。」侍者、澡盤に茶を點じ來りて師に與う。師、轉た堂頭を奉って曰く、「此は是れ和尚常用底の茶盞なれば、請う和尚喫せんことを。」堂頭、答うること能わず。師の名是れより大いに振う。
もう一つの円覚寺でのエピソード。門前でのやりとりを無事に通過した慧春尼が方丈の間に通された。円覚寺の住持は侍者を振り返って、「お茶をお持ちしなさい」と言われた。すると侍者は洗い桶にお茶を淹れて慧春尼に差し出した。慧春尼は住持に申し上げた。「これは和尚様日頃お使いのお茶碗のようでございます。和尚様どうぞお飲み下さり、飲み方をお教え下さいませ。」住持は、やられたと思って言葉に詰まってしまった。慧春尼の名声はいよいよふるったのである。
*このようなお話だが面白いと思う方もいらっしゃるだろうし、慧春尼に対して失敬な、と思われる人もいらっしゃるだろう。私は思い入れが強いので、失敬なと思っている。
しかし史実であるかもしれない。慧春尼は少しのことでは動じない、強い神経をお持ちであったことは事実であろう。事実はどうであったか分からないが、このように気丈に生き抜いた方であったということだろう。その気迫は学びたいと思う。[続く]