風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

公案ー不許老胡会その2

2006-09-16 23:51:31 | Weblog
9月16日(土)晴れ後曇り【公案ー不許老胡会その2】

このところすっかり涼しくなりました。もう秋なのですから当然のことですが、今まで残暑が厳しかったので、ようやく秋を楽しめるのかという感じがします。さて慧春尼の9月11日に書きました「許老胡知、不許老胡会。」の公案について『無門関』にあると書きましたが、『無門関』よりも前に書かれた『碧巌録』の一則の評唱にあるようです。「つらつら日暮らし」のtenjin和尚さんよりご指摘を頂きました。改めてこの言葉を探してみましたが、やはり『碧巌録』の圜悟克勤えんごこくごんの言葉が一番古いようです。訂正:最初は雪竇重顯せっちょうじゅうけんの『明覚禅師語録』の拈古第八〇則でした。

少しその意味を考えてみようかと思い、『無門関』のほうは第九則にあるので、註釈書のその箇所をコピーしてきました。しかしどうもピンとこない解釈なので、納得がいかなかったのですが、tenjin和尚さんのコメントのお陰で了解しました。

「老胡は達磨をさす。「知」は心得ていること、「会」はさらにその上の了悟。達磨が仏法を知っているのは認めるが、会していたとまでは言わせまい。」

このように註釈されていたそうですので、私もそのようなことかと納得致しました。公案も分かるとそんなものかということになりますけれど、私が参考にしようと考えていた註釈はちょっと首を傾げるような解釈でした。数本を参考にできる場合はよいですが、一冊だけの本を鵜呑みにするのは実に危険なことと改めて思います。

しかし、それではどうして慧春尼の右手をかかげ、左手を搦めることになるのか、またあらたに疑問が生じます。まあ一方は可よしとし、一方は可としないことを語でなく仕草で示したということは、やはり言語表現を越えていること、という慧春尼の見解を示したということになるのでしょうか。この公案についてはこのくらいで可としておかせて下さい。判じ物のような公案にはあまり時間を使わない方がよいかもしれません。

*昨日は敬老の日、平成15年からは第三月曜になったようですが、15日のほうがピンときます。さてこのところ母の足がむくんでいたのですが、毎晩「せんねん灸」を足の裏にしましたら、すっかりむくみがとれました。腎臓と膀胱のツボにすえます。ツボの位置はせんねん灸の箱に入っています。一週間ぐらいで良くなりました。むくみのある方はお試しを。せんねん灸はレギュラーかソフトで試してください。火の元にはご用心。

*上の公案ですが、『正法眼蔵』の「面授」巻にある雲門大師についてのところが気になっています。(これもtenjin和尚さんに教えていただきました。)「会」を「見」と解釈する視点もあるかもしれません。