風月庵だより

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千について

2007-03-18 13:57:52 | Weblog
3月18日(日)晴れ【千について】

先月のログで『ダンマパダ(法句経)』の中の「千の章」からの一句を紹介しました。この「千の章」は千に関する語が含まれた句を集めた章であると、フクロウ博士(ひさびさの博士の登場です。実はいつもお教えを頂いているのですが)に教えて頂きました。千だけではなく百に関する句もこの章には多く出てきます。

さて新井満さんの「千の風になって」のCDはかなり売れているようですが、この「千」について『リグ・ヴェーダ』の中の宇宙創造に関する賛歌のなかに「プルシャ(原人)の歌」というのがあるそうで、千に関する記述を見つけました。見つけたといっても立川武蔵氏の『はじめてのインド哲学』(講談社現代新書 1992年11月)を読んでいて出会ったのですが。

「プルシャ(原人)は千の頭、千の眼、千の足をもつ。彼はあらゆる方角から大地をおおって、それよりもなお十指の高さにそびえる。」と。この箇所を読むと、すぐに「千の風」を連想しました。「千の風になって」を書いた人はイギリス人のようですが、イギリスの人の方が日本人よりも『リグ・ヴェーダ』などを眼にする機会が多いと聞きました。もしかすると「千の風になって」の発想のもとに「プルシャの歌」があったかもしれないと、ふと思いましたので、ちょっと紹介してみました。

仏教において揺るがせない教理として、絶対神を認めないということや、不滅のアートマン(我)を認めないということがあります。とすると死んだ後に千の風になるということはありえないのですが、此の世にある者の願いとして、このように歌われることは否定されるべきことではないだろう、と思います。

私自身はインド哲学的なことを理解したり、インド仏教を理解することが実に苦手です。頭の中にそのような回路が無いのではなかろうかとさえ思うのです。それでも僧侶としてなんとか少しでも理解したいものと努力しているのです。中国禅にしても同じことであり、理解するまでに多大な時間を要するのですが、なんとか少しでも理解する努力をしていることを、このログで披瀝しているような次第で恐縮しています。

同年の鈴木ヒロミツさんも、はや先に逝かれました。自分もいつこの生の時間が終わるかもしれません。「生は生きり」です。風邪を引いて寝ている場合ではないのですが、やはり一週間寝込んでしまいました。まだ完治していないのですが、お彼岸なので寝ているわけにもいきません。皆様もくれぐれもお体にはお気をつけ下さい。今週も頑張りましょう。