風月庵だより

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御陰様

2007-11-25 18:17:02 | Weblog
11月25日(日)晴れ、暖か【御陰様】(暖かい公園にて)

三日間のお休みは終わり。皆さんはどのように過ごされたでしょう。私はお寺の仕事で休みはなかったのですが、法事の途中で、公園や植物園を散策しました。ところで、今、窓の外を見ましたら、赤い十六夜の月が上がっていますね。

さて、私は出家してより25年と半年が経ちました。まだ25年と半年ですが、もう25年と半年でもあります。それなのに、なかなか仏教の教えが本当には分かっていません。皆さんからお布施を頂いて生きているのに、僧侶として仏教が分かっていないと言うことは、本当に心苦しい。師匠にも育てていただきましたが、駒澤大学に入って仏教学も学び、今に至っています。まだまだですが、最近やっと写経教室で「般若心経」の解説をさせていただけるようになりました。今まで10年ほど写経教室の講師をさせて貰いましたが、「般若心経」の解説はできませんでした。

フクロウ博士という友人の御陰で、ようやく自分の言葉で「般若心経」の話ができるようになりました。今は昭和女子大学のオープンカレッジで写経教室の講師をさせていただいていますが、そこでようやく「般若心経」をスタートすることができました。25年と半年がかかりました。私はなんと頼りのない僧侶です。

法事においてはお布施を頂くのですから、私はプロでなくてはならないという考えがあります。それは私が在家の時に、小さな会社を経営した経験から、お金を得るということがいかに大変なことであるかを、身に沁みて味わったからです。出家者なのにプロ意識というのはおかしいと、思う方もいるかもしれませんが、お金を頂く以上はプロでなければ、という考えがあります。たとえ未熟であってもアマチュアということはあり得ない、と思います。それはどのような職業においてもいえることではないでしょうか。僧侶は職業か、というとそれはまた別の話になりましょうが。

葬式仏教などと批判的に日本の仏教を表現する人もいますが、それも日本における一役ではないでしょうか。仏事にかかわり、仏事でお布施を頂戴する以上は、やはりその道のプロになる努力は必要でしょう。そしてその仏事にかかわる僧侶は、根底において、仏道修行しつづける出家者であり、仏教とはどのような教えであるかを学び続けていく出家者でありたい、と考えます。

ところで、「般若心経」の空や無ですが、全てが空であるとは、全て実体が無いということですから、縁に依って成り立っているのであり、自分だけで成り立っている物も人もこの世にはあり得ない、ということになります。そう考えますと、生きていることは御陰様で成り立っているということになりませんか。ということで、私は、空や無は御陰様になるとさえ解釈しています。

御陰様で今日も一日勤め終わりました。皆さん、いつもブログをお読みいただき有り難うございます。御陰様にて書く気力が出ます。ただあまりまめに書けませんので、サボっているときにはバックナンバーからお読みいただけますと幸甚です。(右側のEntry Archiveの年月をクリックして下さい。)

十六夜の月は、はや少し上に上がり白色に輝いています。月を眺めながら、そうですね、熱燗でもつけて飲みましょうか。真面目そうなことを言いながら、真面目な僧侶ではありません。南方仏教では破戒僧になりますよ。

あれこれ随想記にも「おかげさま」のログがたまたま今日掲載されていますのでお尋ねしてみてください。http://blog.goo.ne.jp/zen-en/