【5月7日(水)晴れー韓国の旅(5)慶州ー安らぎの菩提寺】
慶州の旅、2日目(5月7日のこと)の終わりは、本覺法尼の法友のお寺、菩提寺を訪問しました。菩提寺の所在を地図上で確かめなかったのは残念ですが、他 を訪ねなくても、ここのお寺で慶州の旅は十分と思ったほどのお寺でした。決して古刹でもありませんが、先代の住職と現住職たちが護持して整えたという伽藍 は、美しい佇まいを山の中腹に展開していました。この空間に足を踏み入れただけで、信者さんにとっては仏界に来たかと思うような感じがするのではないで しょうか。お寺には住職と多くのお弟子さんが修行しています。
鐘楼堂です。
寂黙堂です。坐禅堂かもしれません。
大雄殿です。このなかには最近建立した釈迦尊像と観音像や地蔵菩薩像がおさめられています。
〈韓国の仏像〉 微笑みをたたえた慈悲深い感じのお顔の釈尊像と観音菩薩像です。この仏像を作った仏師は、本覺法尼の金寺の仏像を作られた方と同じ仏師です。僧侶だ そうです。韓国の全ての仏像は、お参りする人々に対して、その尊顔を拝めるようにしてあります。日本の仏像があまり見えないことに、韓国の人から質問を受 けることもありますが、この点は大きな違いでしょう。まして秘仏といって、たまに御開帳されるような仏像があるのは、日本の特徴でしょう。それぞれの国に あった仏像のお祀りの仕方ではありますが、私は韓国式のほうを好みます。やはり仏様の尊顔を拝しながら、お拝をしたり、お経を誦したり、仏名をお唱えする 方が、信仰心は育てていただけるように思います。
六和堂。六和堂の方で、お茶の接待や夕食をご馳走になりました。 六和:六和の意味は六和敬ろくわきょう、または六和敬を行う清浄な仲間。六和敬とは、僧が互いに和合し、敬愛しあう六種の法。身和敬(礼拝)、口和敬、意和敬(信心をともに)、戒和敬(戒を同じく)、見和敬(仏教教理の理解を同じく)、行和敬などの六種。
石仏
〈千日行〉 このお寺の伽藍を整えてから、住職は、千日の行をなさったそうです。どのような行であるか、残念ながら詳細は尋ねませんでした。
〈千日のラジオ放送〉 さて、なぜこのお寺を訪ねたかと言いますと、この日夕方の五時から、本覺法尼のラジオの生放送があったからです。電話でも可能だということで、但し携帯電 話ではできないというので、昔からの法友のお寺にお邪魔したのです。韓国には「仏教放送局」があり、毎日、仏教に関しての放送があります。本覺法尼は、数 年前まで、ラジオで仏教についての教えを、千日間に亘って放送していました。これは全く日本では考えられないことです。 今回の生放送は、10日(土)に行われる仏教学会についての話だそうです。本覺法尼は佛教學研究會の会長です。この会は尼僧、男僧だけでなく在家の仏教 学者の人たちも会員のようです。 後から聞いたことですが、この生放送がうまく電波にのるために、菩提寺の住職は、新しい電話機を急いで街まで買いに行ってくれたそうです。「こういう法 友に支えられているのです」と本覺法尼は言いました。足の引っ張り合いをしないで、法友が助け合うことの気持ちよさを味わいました。
この日、11時過ぎに無事にソウルに戻りました。本覺法尼がやはりハンドルを握ってくれました。(実は慶州までの運転は初めてだそうで、佛名をお唱えしながら運転していてくれたそうです。)
慶州の旅、2日目(5月7日のこと)の終わりは、本覺法尼の法友のお寺、菩提寺を訪問しました。菩提寺の所在を地図上で確かめなかったのは残念ですが、他 を訪ねなくても、ここのお寺で慶州の旅は十分と思ったほどのお寺でした。決して古刹でもありませんが、先代の住職と現住職たちが護持して整えたという伽藍 は、美しい佇まいを山の中腹に展開していました。この空間に足を踏み入れただけで、信者さんにとっては仏界に来たかと思うような感じがするのではないで しょうか。お寺には住職と多くのお弟子さんが修行しています。
鐘楼堂です。
寂黙堂です。坐禅堂かもしれません。
大雄殿です。このなかには最近建立した釈迦尊像と観音像や地蔵菩薩像がおさめられています。
〈韓国の仏像〉 微笑みをたたえた慈悲深い感じのお顔の釈尊像と観音菩薩像です。この仏像を作った仏師は、本覺法尼の金寺の仏像を作られた方と同じ仏師です。僧侶だ そうです。韓国の全ての仏像は、お参りする人々に対して、その尊顔を拝めるようにしてあります。日本の仏像があまり見えないことに、韓国の人から質問を受 けることもありますが、この点は大きな違いでしょう。まして秘仏といって、たまに御開帳されるような仏像があるのは、日本の特徴でしょう。それぞれの国に あった仏像のお祀りの仕方ではありますが、私は韓国式のほうを好みます。やはり仏様の尊顔を拝しながら、お拝をしたり、お経を誦したり、仏名をお唱えする 方が、信仰心は育てていただけるように思います。
六和堂。六和堂の方で、お茶の接待や夕食をご馳走になりました。 六和:六和の意味は六和敬ろくわきょう、または六和敬を行う清浄な仲間。六和敬とは、僧が互いに和合し、敬愛しあう六種の法。身和敬(礼拝)、口和敬、意和敬(信心をともに)、戒和敬(戒を同じく)、見和敬(仏教教理の理解を同じく)、行和敬などの六種。
石仏
〈千日行〉 このお寺の伽藍を整えてから、住職は、千日の行をなさったそうです。どのような行であるか、残念ながら詳細は尋ねませんでした。
〈千日のラジオ放送〉 さて、なぜこのお寺を訪ねたかと言いますと、この日夕方の五時から、本覺法尼のラジオの生放送があったからです。電話でも可能だということで、但し携帯電 話ではできないというので、昔からの法友のお寺にお邪魔したのです。韓国には「仏教放送局」があり、毎日、仏教に関しての放送があります。本覺法尼は、数 年前まで、ラジオで仏教についての教えを、千日間に亘って放送していました。これは全く日本では考えられないことです。 今回の生放送は、10日(土)に行われる仏教学会についての話だそうです。本覺法尼は佛教學研究會の会長です。この会は尼僧、男僧だけでなく在家の仏教 学者の人たちも会員のようです。 後から聞いたことですが、この生放送がうまく電波にのるために、菩提寺の住職は、新しい電話機を急いで街まで買いに行ってくれたそうです。「こういう法 友に支えられているのです」と本覺法尼は言いました。足の引っ張り合いをしないで、法友が助け合うことの気持ちよさを味わいました。
この日、11時過ぎに無事にソウルに戻りました。本覺法尼がやはりハンドルを握ってくれました。(実は慶州までの運転は初めてだそうで、佛名をお唱えしながら運転していてくれたそうです。)