風月庵だより

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韓国の旅(9)金寺、布薩の日

2008-05-23 22:08:06 | Weblog
【5月10日のこと(土)晴れー韓国の旅(9)金寺、布薩の日】

 毎月第2土曜日朝課罷に、金寺では布薩<font size=2.5 color="red">ふさつ</font>が行われます。布薩というのは、自己反省や罪の懺悔などをすることをいいます。金寺で は、反省ばかりではなく、それぞれの希望なども述べるのだそうです。滞在中の10日の土曜日がちょうど布薩の日に当たり、列席させていただけました。


 (朝課罷は外はまだ暗い)朝課が終わっても、外はまだ暗く、日の出前です。微かに空が明るくなってくる時間。住職の口から何回か「ミャンマー」という語が聞こえましたので、後から聞きましたら、ミャンマーで大変なサイクロン被害が でていることということで驚きました。日本を出たのは、5日でしたが、その頃はまだ3日に起きたサイクロンの情報が報道されていなかったのではないでしょ うか。全く知りませんでした。花祭りの万灯供養で集まる浄財は、例年は子供たちのために使われるのだそうですが、今年はミャンマーに寄附をしたいと思う が、皆さんもそれでよいかどうか、と意見を聞かれたようです。皆、賛成していました。


(布薩の間に外が明るくなりました。)この日は、寂照長老から、長い口宣が あったようです。後からききましたところ、朝課の前には、たとえ忙しくても、きちんと寝具をたたむこと、たとえ朝課罷に眠くても、布団を敷いて寝てはなら ない、また大声で話してはならない、等修行者が注意しなくてはならないことについて話されたようです。さすがに僧堂の堂頭であった方ですから、厳しいです し、修行者のために、大事な身近なことに、よく目を光らせてくださっていると思いました。また自分たちも完全な人間 ではないのだから、なにかあったら、遠慮無く意見を述べるように、とおっしゃったようですが、この度は大衆からの意見はなかったようです。

日本のある修行道場では、『梵網経』というお経を読んだだけで、布薩としているところもあるようですが、それは形だけで中身のない意味のない布薩でしょう。こういうところにも、韓国には生きた叢林の姿を見ることができました。

戒律や、戒律と言わないまでもその寺にあるきまりを守るということは、修行者にとっては修行の基本です。そして修行者から言えば「戒を守る」と思っていますが、実は「戒から守られている」 ことが、長い目でみると分ってきます。いろいろな面からそれを見ることはできます。修行に入り立てのころは、それが分からずに堅苦しいように思えますが、 人間の放逸に任せていては、修行者としての道を全うすることは困難です。修行者にとって戒は守りです。清らかに生きる助けです。

戒を破ってはいないか、反省することも布薩にとって大事なことになります。