12月25日(月)晴れ【二元論について考える 戦争と平和】
今日は25日です。イエス様がお生まれになった日されています。西暦1年とか6年とかの説があり、またお生まれの日にちも12月25日ではないという説もありますが、まあ、あまりその辺は詮索しないで、12月25日、西暦元年ごろ、ということにしておきましょうか。
お釈迦様はイエス様よりも数百年早くお生まれになっています。紀元前463年から383年ごろという説と、紀元前566年から486年という説、南伝ではもっと古く紀元前624年から544年という説があります。一応4月8日を生誕の日とされています。
お二人とも、現代の地球をご覧になって、いかがお思いになるでしょう。愛と人々の幸せを願ってお生まれになったお二人です。イスラムのムハンマド様も、砂漠で暮らす人々の団結と幸せを願い、アッラーの神の教えに従って生きることを教えてくれていたはずです。
しかるにロシアによるウクライナへの戦争、イスラエルとパレスチナの戦争、地球上には国内の紛争も含めて、多くの戦いが常にどこかでなされています。
私はこのところ、ずっと、戦争と平和のように、二元対立のようにこの言葉を使うことは間違いであると思っています。
戦争は絶対悪である、と思います。
平和は地球の人類として、当然ある姿であると思います。絶対善というと戦争の絶対悪とこれまた対立するようですので、「平和は、地球の本来の姿」と言いたいです。
二元論について、多少学んでみましたが、分かりずらいです。デカルトの二元論は有名のようですし、『維摩経』の中にも、「不二の法門」についての問答もありますが、ここに書けるほどの咀嚼が十分できていませんので、クリスマスに因んで、なんとしても戦争を止めなければ、人類が滅ぶであろうということを書いておきたいと思います。
あまりに地球人類が、道を踏み外してしまっていますね。ひたすらに平和を願います。平和こそあるべき姿です。戦争を止めることこそが、最大のクリスマスプレゼントです。願いはあまりに無力かもしれませんが、全人類が願えば、可能です。祈りましょう。
二元論 (にげんろん、dualism)とは、世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。 例えば、原理としては 善 と 悪 、要素としては 精神 と 物体 など。