風月庵だより

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韓国の旅(7)金寺の朝課と両親の日

2008-05-20 22:03:47 | Weblog
【5月8日(木)晴れー韓国の旅(7)金寺の朝課と両親の日】 (右端の曉粲さんはまだ見習いなので、お袈裟をつけていない。来年は沙弥として僧堂修行にでます)

  〈朝課
  さて慶州から帰ったのは、昨夜の11時過ぎでしたが、翌日の朝も4時から金寺の朝課は始まります。たとえどんなに遅く寝たとしても朝課の時間は変わりません。

金寺には、30年以上も尼僧堂の堂頭をつとめていた寂照法尼がいらっしゃいます。金寺の長老です。僧堂は3時起床ですから、4時でも遅いと思われていますが、なんとか4時でお許しくださっているようです。

実は寂照法尼は本覺法尼のお姉さんです。本覺法尼の6人兄弟姉妹は全員出家なさいました。韓国でも珍しいケースでしょう。

さて、私も毎朝の朝課はこの朝から出させていただきました。何時に寝ても4時前に起きると決めれば、心身ともに自然にそのサイクルになります。私 も僧堂で修行していたときは3時起きでしたが、東京の今の生活では、5時から6時起床というのんびり時間になってしまっています。

さて、韓国の誦経には独特の節がついています。耳に聞いても浄められる感じがあり、口に唱えても自ら浄められる感じがします。まず「懺悔文」がとなえられ、「般若心經」は金剛神将を祀ってある方に向いてとなえられます。次には礼拜とともに「禮佛文」、次に「佛頂首楞嚴陀羅尼」、そして「釋迦牟尼佛」の名号を108回の3倍つまり324回お称えしながら礼拜をします。このあいだに百拜をする雲水もいます。古参の徳曉法尼はおそらくその行をしているのではないかと思いました。お称えの回数は長老が珠数で数えてくださっています。最後に「怡山慧然禅師発願文」 がとなえられます。(だいたいのことは、英語で話せる沙弥の曉昔さんに教えていただきましたが、聞き間違いがありましたらご容赦ください)朝課の時間は丁度一時 間程です。朝課自体も修行ですが、朝課によって、清浄なエネルギーを身心に漲らせて、これから一日のさらなる修行のはじまりを迎えられるのです。


        〈両親の日と誕生日
 5月8日は両親の日だそうです。もともとは母の日だったのですが、お父さんたちが運動して、両親の日に換えたのだそうです。寂照法尼と住み込みのお手伝いの方お二人、そして母にもカーネーションが贈られました。朝4時に、朝課には出ないで、市場に買い出しに出かけ た雲水たちが買ってきてくれたのです。今日は六七日忌の法要があり、御斎をだすので、その買い物などのために買い出しに出かけたのです。

また沙弥の曉昔さんの今日は誕生日です。師匠の本覺法尼がそのことに気づいてケーキの注文を、すぐに買い出し組に電話していましたが、買い出し組は早朝にもかか わらず、ちゃんとケーキを調達してきました。また韓国では誕生日には母親が若布スープを作るそうですが、お寺でも作ります。曉昔さんは四人姉妹の末っ子で す。インドに10年留学して、博士号を取得し、先生をしていましたが出家しました。、曉昔さんの出家は、本人だけではなく両親の願いでもあったそうです。韓国では子どもの内一人はお坊さんにさせたい、という人が多いようです。そのよ うな話を、石窟庵で徳話を頼まれた人からも聞きました。息子さんを海印寺(ヘインサ)に修行にだしたそうです。出家して貰いたいと願って。

午後には曉昔さんのご両親も、ケーキと家庭菜園のお野菜を沢山届けにいらっしゃいました。お二人は、お寺に届ける野菜作りを、今は楽しまれているようです。

この日の午前中は六七日忌の法要がありました。心を尽くした金寺の法要には、とても僧侶として学ぶべきことが多く感動しました。金寺の七日七日の法要 については、有り難いことに、この度の滞在期間の間に2回随喜のご縁がありました。翌日の九日に、他の方の七七日忌がありましたので、また項を改めて紹介 しましょう。

この日の午後は、金浦にある中央僧伽大学に連れて行って貰いました。ほとんどの学生(全員僧侶、在籍者400人くらい)は、この時期は、それぞれの師寮寺に帰っているようで、静かな構内でした。

この大学は、教授たちも大学内に宿泊している方が多いそうです。学生寮も比丘館と比丘尼館があるそうです。

       
手前は教授たちの建物[精進館]奥は講義室[智慧館]

 大講堂

夕食は金浦にある菜食料理のお店でご馳走になりました。野菜は知里山からのものだそうで、新鮮な香り高い野菜でした。野菜懐石料理とでもいったらよいでしょうか。とてもおいしい料理でした。お店の名前を記録しておかなかったので、ご紹介できないのが残念。
*レストランの名「草葉の中の生命(プリ ソウイ ヘンニョン)」

この日も一日がアッという間にすぎました。アンニョンヒ チュムセヨ(おやすみなさい)。





韓国の旅(6)慶州の旅でのちょっと感心したこと

2008-05-20 15:35:50 | Weblog
【韓国の旅(6)慶州の旅でのちょっと感心したこと】

〈その1〉
  後ろに見えますのは、「ホテル慶州教育文化会館」といいます。全室270室ある大きなホテルです。このホテルは大学の教授も含め、学校関係の教職員が出資して建て られたホテルで、韓国にはこのようなホテルが数カ所あるそうです。先生や学生たちは半額で宿泊できたり、食事代も安くなるということです。そして出資した 先生で、勤続20年以上経った人は、このホテルの利益から年金もでるそうです。日本にも教職員組合のホテルもあると思いますが、規模が違うのではないでしょうか。母のために、素敵なホテルに泊まる予定だったそうですが、満室だったそうで、このホテルになったのですが、部屋も広く、きれいですし、十分すぎるほどでした。

〈その2〉
車を使わない日。韓国では、市内に車を乗り入れない曜日を、それぞれ個人別に国と約束しているそうです。慶州に出かけた日は、市内に入らない曜日だったそうで、携帯電話に注意の勧告が入りました。やむを得ない場合は許されるようです。

〈その3〉
混雑通行税:或る有料道路は、2人以上乗っている場合、料金は無料です。

〈その4〉

 高速道路のドライブインのトイレット。真ん中に植木がありました。右の壁にかかっているのはカナリアの籠。まさか有毒ガス察知のためのテロ対策ではないでしょう。子供用の小さな便器とバスタブのついたトイレもありました。
 食堂の横に何気なく建っている、素敵な建物、なんでしょう、休憩所でしょうか。

*異国のことは、こんなようにちょっとした違いにも感心します。きっと日本に旅行にいらっしゃった異国の旅人も、日本人には当たり前のことでも、思いがけないことに感心していてくれるかもしれませんね。


韓国の旅(5)慶州ー安らぎの菩提寺

2008-05-19 17:48:47 | Weblog
【5月7日(水)晴れー韓国の旅(5)慶州ー安らぎの菩提寺】

慶州の旅、2日目(5月7日のこと)の終わりは、本覺法尼の法友のお寺、菩提寺を訪問しました。菩提寺の所在を地図上で確かめなかったのは残念ですが、他 を訪ねなくても、ここのお寺で慶州の旅は十分と思ったほどのお寺でした。決して古刹でもありませんが、先代の住職と現住職たちが護持して整えたという伽藍 は、美しい佇まいを山の中腹に展開していました。この空間に足を踏み入れただけで、信者さんにとっては仏界に来たかと思うような感じがするのではないで しょうか。お寺には住職と多くのお弟子さんが修行しています。

 鐘楼堂です。


 寂黙堂です。坐禅堂かもしれません。


  大雄殿です。このなかには最近建立した釈迦尊像と観音像や地蔵菩薩像がおさめられています。
  
 〈韓国の仏像〉 微笑みをたたえた慈悲深い感じのお顔の釈尊像と観音菩薩像です。この仏像を作った仏師は、本覺法尼の金寺の仏像を作られた方と同じ仏師です。僧侶だ そうです。韓国の全ての仏像は、お参りする人々に対して、その尊顔を拝めるようにしてあります。日本の仏像があまり見えないことに、韓国の人から質問を受 けることもありますが、この点は大きな違いでしょう。まして秘仏といって、たまに御開帳されるような仏像があるのは、日本の特徴でしょう。それぞれの国に あった仏像のお祀りの仕方ではありますが、私は韓国式のほうを好みます。やはり仏様の尊顔を拝しながら、お拝をしたり、お経を誦したり、仏名をお唱えする 方が、信仰心は育てていただけるように思います。
 六和堂。六和堂の方で、お茶の接待や夕食をご馳走になりました。 六和:六和の意味は六和敬ろくわきょう、または六和敬を行う清浄な仲間。六和敬とは、僧が互いに和合し、敬愛しあう六種の法。身和敬(礼拝)、口和敬、意和敬(信心をともに)、戒和敬(戒を同じく)、見和敬(仏教教理の理解を同じく)、行和敬などの六種。
 石仏

〈千日行〉 このお寺の伽藍を整えてから、住職は、千日の行をなさったそうです。どのような行であるか、残念ながら詳細は尋ねませんでした。

千日のラジオ放送〉 さて、なぜこのお寺を訪ねたかと言いますと、この日夕方の五時から、本覺法尼のラジオの生放送があったからです。電話でも可能だということで、但し携帯電 話ではできないというので、昔からの法友のお寺にお邪魔したのです。韓国には「仏教放送局」があり、毎日、仏教に関しての放送があります。本覺法尼は、数 年前まで、ラジオで仏教についての教えを、千日間に亘って放送していました。これは全く日本では考えられないことです。  今回の生放送は、10日(土)に行われる仏教学会についての話だそうです。本覺法尼は佛教學研究會の会長です。この会は尼僧、男僧だけでなく在家の仏教 学者の人たちも会員のようです。  後から聞いたことですが、この生放送がうまく電波にのるために、菩提寺の住職は、新しい電話機を急いで街まで買いに行ってくれたそうです。「こういう法 友に支えられているのです」と本覺法尼は言いました。足の引っ張り合いをしないで、法友が助け合うことの気持ちよさを味わいました。

この日、11時過ぎに無事にソウルに戻りました。本覺法尼がやはりハンドルを握ってくれました。(実は慶州までの運転は初めてだそうで、佛名をお唱えしながら運転していてくれたそうです。)

 

韓国の旅(4)慶州ー佛國寺、芬皇寺

2008-05-18 11:09:25 | Weblog
【5月7日(水)晴れー韓国の旅(4)慶州ー佛國寺、芬皇寺】(ミレニアムホールの前で)

上の写真はEXPO記念堂の 前での一枚。まだ開園前で入れなかったのですが、お写真だけでもお取りくださいと、この合掌している守衛さんが入り口の柵をはずしてくださった。このよう にお坊さんに対して実に丁重な姿に、韓国ではお坊さんが尊敬の対象として存在しているという印象を受けたのでご披露します。「今日はお坊さんが最初に来てくださったので、たくさんの お客さんが来てくれるでしょう」とさらに一言の守衛さん。
 御陰様で写せた一枚。後ろの建物は、戦争で喪失した(おそらく日本軍による)黄龍寺の九重の塔を抜き取ったように建てられた記念堂。九重の塔はその昔、国の安定を願って建てられたので、やはり、国の安定と平和を願って、この記念堂は建てられたそうです。上には展望台があるそうです。

 さて、いよいよ佛國寺です。あまりに広いので、母のために車椅子を借りてくれました。韓国には公共の機関にはよく車椅子が置かれています。だれでも借りることができます。身分証明書は必要です。
 佛國寺本堂。佛國寺は石窟庵と同じく金大城宰相が 景徳王10年(751)に、親の金文亮のために創建したものです。やはり秀吉の文禄の役(宣祖26年ー1593)で焼かれてしまったそうです。わずかに石造 物だけが残ったそうです。孝宗10年(1659)に再建されましたが、またも日本軍に焼かれて、復元事業により再々建されました(1969~1973)。 (ユネスコ世界遺産)


 〈施されるお寺のお昼御飯
写真は佛國寺衆寮か。お昼御飯は、佛國寺の僧侶の食堂でご馳走になりました(食堂の写真をとりませんでしたが、この建物の前にありました)。もう片づけて いましたが、麺だけなら有ります、と、山のように麺をだしてくれました。ここのキムチのおいしかったこと。これ以上おいしいキムチには、おそらくであえな いだろうと思います。去年の冬のです、と食堂のおばさんが、おいしいでしょう、という感じで言いましたが、本当においしかったです(寺のキムチはニンニク が入らない)。このように僧侶は食堂のある大きなお寺では、どこででもお金は払わないで、食事を頂くことができます。心付けのようなものもおきません。修 行をしっかりすることが、お返しなのです。韓国の友人が、日本の總持寺でお昼御飯をご馳走になろうとしたら、予約がなければ駄目です、と言われて、驚いて いたことがありました、が、韓国に来てみるとわかります。

 芬皇寺、 写真に小さく見える看板に「元曉学研究院」の文字。ここは元曉大師(617~686)が住したお寺でしょうか。大師は新羅の学僧として有名。華厳経や大乗 起信論の註釈書など多数の著作を残しています。昨日の祇林寺にも元曉大師が訪れたという記録があるそうなので、祇林寺もかなりの古刹。ここは小さなお寺で すが、元曉由来の古刹として観光客が訪れるようです。
 芬皇寺の普光殿。お堂一杯のおおきな仏像が祀られていました。やはり提灯が境内に飾られています。

このあと菩提寺という尼僧さんのお寺を訪ねましたが、長くなりますので、またこの次に書きましょう。









韓国の旅(3)慶州ー石窟庵と祇林寺

2008-05-17 16:49:45 | Weblog
【5月6日(火)晴れー韓国の旅(3)慶州石窟庵祇林寺】(ガソリンスタンドの屋根さえ瓦葺き)

 ソウルに着いた翌日の6日と7日にかけて、慶州(キョンジュ)にお連れ頂いた。約400キロあるので、車で5時間かかりました。運転は本覺法尼自身がずっとしてください ました。助手としてお弟子さんの曉法尼さんが付いてきてくれました。韓国の旅の間、この曉法尼さんがずっと母の介護係を務めて下さり、まことに有り難 いことでした。

 写真は石窟庵(ソクラン)の入り口。石窟庵にある釈尊像は、新羅時代(景徳王10年ー751)、金大城という宰相が親をしのぶために建てられたそうです(世界遺産)。韓国は石造りの仏像や岩に彫られた磨崖仏が多くあります。山も岩山が多く目に入ります。

石窟庵入り口までは、92歳の老人が乗車しているので、車で入ることができましたが、そうでなければ曲がりくねった山道を登ることは不可能だったでしょう。この岩に建てられたお堂のなかに、石造りの釈尊像がありますが、撮影禁止です。
  石窟庵から下りる石段。登るときは、曉法尼が母を抱えて登ってくれました。ここの下にあるお堂で、係の女性から法話を求められたのは、私にとっては初め ての経験でした。梨をむいてくださったのですが、このお布施に対して、「どうぞご法話を願いします」というお申し出なのです。日本では無い経験なので、ちょっととまどいましたが、お話をさせて頂き ました。韓国ではこのようにお坊さんに法話をお願いするのを、徳話というそうです。お坊さんの徳のある話をしていただくことだそうで、よくあることだそうです。お坊さんも熱心な信者さんによって、育てられる感じがいたしました。

 これは含月山祇林寺の一棟です。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄1592、慶長の役1597)に対して、これを阻止すべく僧侶たちが僧兵となって、ここに籠もったのだそうです。豊臣秀吉は韓国では本当に大敵です。韓国側では壬申倭乱といいます。

  祇林寺の大雄殿。ここの遺物展示館には観音像がおさめられていました。この仏像は乾漆の像で有名なようです。とても慈悲深い目をした観音菩薩です。ガラス 越しではありましたが、近くに拝むことができました。写真撮影は禁止です。

慶州一日目は、この後、民族工芸村の前の食堂で、夕飯を食べました。お豆腐を自 分のお店で作っているそうで、おいしいお豆腐の鍋料理。またキムチやら、ゴ ボウのような漬け物やら、添え物のお皿が7皿ほど並びますので、いつもながら驚きます。日本では、漬け物も別注文するので、韓国の友人たちははじめ驚くそ うですが、納得できます。

夕暮れが迫る頃、普門観光団地圏の普門湖で遊覧船に乗って、無事にこの日の観光は終わりました。

*慶州:新羅時代(356~935)の古都。世界文化遺産の都市。新羅時代の文化と歴史が生きている。建造物にはおそらくいろいろな規制があると思われますが、屋根なども瓦屋根と決められているようです。ガソリンスタンドの屋根さえ瓦葺きでした。





韓国の旅(2)曹渓寺の潅仏会

2008-05-15 20:07:59 | Weblog
【5月10日(土)晴れー韓国の旅(2)曹渓寺の潅仏会】

ソウルにある曹渓寺(チョゲサ)は韓国曹渓宗の大本山です。曹渓寺には10日(土)にお参りに行ってきました。お寺の中はたくさんの提灯が飾られていました。

 
奥に見える白い提灯は亡くなった人のためのものだそうです。


 花で飾られたチョゲサの誕生佛。参拝の人たちが甘茶を自由にかけるのに、誕生佛の脇に、美しいチマチョゴリを着た信者さんが介添えをしてくれていました。

 夜になると提灯に灯りがともります。


  この夜は、信者さんによる三千回のお拝がなされるそうで、本堂にも境内にも、たくさんの信者さんが集まっていました。それぞれ自分がお拝をする拝敷きを 持ってきています。本堂内はお寺の拝敷きを使っていました。この三千拝は環境汚染をくいとめることを願っての礼拝行だそうです。曹洞宗ではグリーンプランという 活動がありますが、なかなかこれほどの規模にはならないです。それにしましても、三千拝するには、一晩中かかるそうです。朝までかかる三千拝を自らの淨行によって願う姿勢には頭が下がりました。

礼拝行は韓国の仏教信者さんにとって、身に付いた行としてなされているようです。そのような行を韓国の仏教信者さんは、伝統的に教えられているということは、礼拜によって苦しみから抜け出すことができた経験を持つ私としては、幸せなことだと思います。それにしましても三 千拝という回数はたやすいことではないでしょう。日本の仏教界でも、礼拜を信者さんにもっとお教えした方がよいと思います。自身にとって功徳のある行なのですから。

 奥に見えるのはチョゲサの本尊様。手前は本堂に入りきれない信者さん。


 灯りのともった提灯で飾られたチョゲサの山門。
            門前の通りにも提灯は飾られています。この時期はソウルの町中がいろいろな提灯で飾られ、町中が潅仏会に彩られています。韓国の 潅仏会は、どうも日本のお盆に匹敵するような行事なのかもしれません。それで万灯供養もこの時期にするのであろうと思います。韓国の仏教行事について、い つかもう少し調べてみたいと思っていますが、今回はこの程度の紹介でお許しを。



韓国の旅(1)金寺の潅仏会

2008-05-14 22:22:48 | Weblog
【5月12日(月)晴れー韓国の旅(1)金寺の潅仏会】

5日から12日の日程で韓国の潅仏会(燃灯祝祭)に、旧友に招かれて行ってきました。母は韓国式には92歳になりますが、まだ元気で歩けそうなので、是非いらっしゃいと招待されたので、私も後顧の憂い無いように思い切って出かけてきた旅です。

 旧友の陳本覺法尼(スニム)はソウルの西大門区にある金寺(クンザンサ)というお寺の住職でもあり、中央僧伽大学の教授ですから、いつも多 忙の日々を送っているようです。しかし、花祭りの期間は大学は休みになります。お弟子さんたちも、10人のうち7人がお寺に戻っていました。どのお寺も僧 堂や大学から戻ってきているお坊さんたちで賑やかになる時期です。

 今日は、旅の順番からいうと最後の日からの紹介になりますが、金寺(クンザンサ)の潅仏会から旅の報告をいたしましょう。韓国は旧暦で潅仏会をしますので、今年は5月12日が旧暦の4月8日になります。

 潅仏会の朝も4時からの朝課は毎朝同じです(後述)。潅仏会の法要は10時から始まりました。信者さんたちも本堂(大雄殿)に入りきれないほど集まってき て、本堂の外にも敷物を敷いて参集しています。400人ほどいつも集まるそうです。

 始まりは美しい旋律の仏教賛歌を、参拝者全員で歌って始まりました。おそらくお釈迦様を讃える仏歌だろうと思います。それから僧侶だけではなく信者さんも 共にお拝をします。韓国の法要は僧侶だけではなく、信者さんたちも一緒にお経を読み、お拝をします。「釋迦牟尼佛」の称号をお唱えするのも一緒です。朝課 のときは108×3回ですが、おそらく108回くらいお唱えしていたでしょう。本当にお釈迦様のお誕生を祝っている法要であると実感します。

韓国の読誦法や、阿弥陀仏や釈迦牟尼仏のお唱えは美しい旋律がつけられます。聞いていても心洗われ、唱えても心洗われる感じがあります。日本のように、た だお坊さんだけ行う法要ではなく、韓国では信者さんも自ら加わって誦経し、お拝をします。このような参加型の法要は、信仰の心を養ってくれると思います。

そ して、住職の法話が一時間ほどありました。韓国語はわかりませんが、住職が一生懸命仏教について説いているのであろうということが、伝わってくるような一 時間でした。母も後で同じような感想を述べていました。どのようなお話であったかと、あとからおたずねしましたら、一人一人の信仰について、話されたよう です。僧侶だけが理解していればよいような仏教ではなく、それぞれの信仰、自身の信仰を強く持つことについてお話されたのでしょう。現在のような混迷する 世界の動きのなかで、仏教徒としての自覚を持ち、しっかりと生きていくことの大事さを話されたようです。住職の問いかけに対して、信者さんたちは力強く答 えていました。

法話の後もしばらく誦経があり、また僧俗共にお釈迦様のお誕生を讃えました。ここまで2時間はたっぷりかけて、丁寧な灌仏法要です。

最後に皆順番にお釈迦様の誕生佛に甘茶をかけました。その間中お坊さんの誦経は続きます。もしかしたら名号のお唱えだったかもしれません。

この後、別棟のお薬師様を祀ってある大ホールで昼食になりました。誰でもお食事を食べられます。信者さんたちは家族中でお参りにきているよう です。小さな子どもから、お年寄りまで年齢層の幅が広いです。




食事の後からは子供たちの太鼓の演奏があっったり、夜には蝋燭に火をともすのだそうです。日本の万灯供養と同じのようです。 私は父と兄のご供養を申し込みましたが、帰国の飛行場に向かわなくてはならないので、この後の行事についての報告は、残念ながらできませんが、夜まで花祭 りの催しは続くのだそうです。

金寺における、心のこもった潅仏会の紹介を致しました。


*ジュリーは美容院のお二人の介護のお陰で、前よりも元気になっています。


ジュリーのデイサービス、その2

2008-05-04 23:20:59 | Weblog
5月4日(日)晴れ【ジュリーのデイサービス、その2】

ジュリー、朝のお迎え

少し立たせてみました


            ジュリーのお見舞いに来てくれたご近所の人たちと


            ジュリーのお帰り、お店の前で

*韓国の友人から花祭りに招待されましたので、明日から一週間ほど、母とソウルに行って来ます。コメントバックはできませんがよろしく。ジュリーは元気でいてくれるでしょうか。

老犬ジュリーのデイサービス

2008-05-02 12:59:23 | Weblog
5月2日(金)曇り【老犬ジュリーのデイサービス】 (昨日撮った写真)
近所の老犬ジュリーが寝込んでから、かれこれ3週間がたった。ジュリーの飼い主はあまり面倒をみてやれないので、ご近所の美容院の人が、昼間はお店に運んできて、世話をしてくれている。 この美容院は二人の美容師さんがいて、二人とも、いつも烏たちに餌をやる姿を見ていたので、動物好きの方たちだと日頃から思っていた。この度のジュリーを世話する様子を見ていて、動物が哀れなのを見逃すことができない方たちであると、あらためて感心した。

朝、 お店に出て来ると、先ず、ジュリーを飼い主の家から運んでくる。褥瘡ができてしまったので、かかえてくることはできない。タオルを敷いた段ボールの上に、ジュリーを乗せ、前と後 を持って20メートルほどのところを運ぶ。そして、お店のソファの上にジュリーを寝かせて、夕方の閉店時間まで、食事をあげたり、水を飲ま せたり、ときどき向きを換えたり、下の世話まで面倒を見てくれるのである。
ジュリーがもう一度立てたら嬉しいね、散歩に連れて行ってやりたいね、などと話しているのだが、果たしてその日は来てくれるだろうか。今朝は少し弱々しい 感じで、二人とも心配していた。 しかし、このジュリーはこのようなお二人がいてくれるお蔭で、最晩年のひとときを穏やかに幸せな日々を送ることができている。近所中の人たちも、ジュリーを見 守っている。私も時間があれば、日頃は縁のない美容院に覗きに行って、ジュリーの様子を見に行ったりしている。美容院のお客さんもジュリーを大事に見 守っている。これほどに周りの人に愛されている犬も少ないだろう。
「ジュリー、少しでもよくなってね」

法を識る者は懼る

2008-05-01 17:15:39 | Weblog
5月1日(木)晴れ【法を識る者は懼る】

『従容録』の研究会で、次のような言葉に出会った。「識法者懼。法を識る者は懼おそる)」という言葉である。『従容録』二十六則「仰山指雪」の頌の著語に出てきた。「掟を心得ている者は常に小心である。まともな人間は自らを慎むものだ」(『禅語辞典』182頁)というような意味である。この語は『碧巖録』の10則頌の評唱にも出てくるので、圜悟克勤えんごこくごん(1063~1125)あたりがはじめて使った語か、もしくは中国の古典に使われている語かもしれない。

堅い話はこのくらいにして、この語に出会って少なからず思うところがあったので、そのことを書こうと思う。当ブログに、最近思いがけずポルトガル在住のある人からコメントをいただいた。以前当ブログに書いた「天井桟敷の人々」という紹介のログの中にこの方のお名前を書かせて頂いたことがある。私が若い頃にお会いした方であるが、青目海さんというお名前の方である。このお名前が印象的でもあり、記憶していたのだが、青目さんのほうは私のことは覚えてはいらっしゃらないようである。そのときすでに尼僧であれば、きっと記憶に残ったであろうが。

青目さん曰く、よく飲んでいる頃のことで、あまり記憶がないということである。青目さんだけではなく、私も若いころはよく飲んだ。どうしてあれほどに飲めたのかは、信じられないほどだが、一升くらいは一晩に飲んだこともあった。年中飲んでいて、なぜあれほどに飲んだのか、今は全くそんなことは関係ないようなすました顔をしているので、我ながら想像もできないほどである。

青目さんからコメントをいただいたので、その頃のことを、急に思い出したのである。あの頃は泣いたり、笑ったり、いろいろな感情の起伏があり、日々にもいろいろな変化が、たしかにあった。いろいろな出来事があった。先というものを見えなかったし、人生のなんたるかも皆目分からなかった。多くのことに無知であった。自分が自分によって振り回されて、年中悩んでいた。やはりあの頃を青春というのであろうと、自分の過ぎてきた時間を振り返ってそう思う。

今は全く違う時間の過ごし方をしているが、あの頃の自分があったから、今がある、と受けとめている。あの頃の五里霧中の毎日があったからこそ、今のこの私が、とりあえず「此処に在り」といえるだろう。およそ、しとやかな、清らかなイメージの尼僧さんとはかけ離れている。

ということで、過ぎ去りし日の自分をも肯定はしているが、今は「法を識る者は懼る」というような生活をしているといえようか。自分にとっては、坐禅をして、先人の教えを学び、お経を誦えて生きているこの生活に守られている観がある。かれこれ20年以上続けているが、紆余曲折あり、右往左往しつつも、なんとなくこの道を歩いていこう、という灯がある。

仏法を、学べば学ぶほどに、自分を学んでいる。面白い流れに入ったと思っている。それで「法を識る者は懼る」の語に深く感じ入ったので、ちょっと若い頃の話を披瀝させてもらった次第です。

*似た言葉で「独慎(独り慎む)」という語があるが、こちらの方は、すました感じがあってちょっと私には苦手だが、「懼る」というほうは、小心者の私にとっては、受け入れられる感じがする。


*青目海さんも楽しいブログを書かれています。ポルトガル便り~ヨーロッパ偏見(ひんがら)日記