60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

富岡製糸場

2009年12月04日 09時00分54秒 | Weblog
JRの駅構内のラックにあった冊子の中に「小さな旅-富岡製糸場というのが目に付いた。
以前ニュースで富岡製糸場が世界遺産を目指すというような記事があったのを思い出し、
早速行ってみることにする。このあたりの腰の軽さは我ながら感心なところである。

西武線を秋津で乗り換え、武蔵野線で新秋津から南浦和へ、京浜東北で浦和に行き、
そこから高崎線に乗り換える。高崎までは快速アーバンで1時間20分ほどの所要時間。
車中で新聞をゆっくり読み、余った時間で単行本を読む、この時が至福の時である。
高崎は群馬県一の都市であるが、駅前はそれほどのにぎわいはなく静かな感じであった。
高崎から上信電鉄の2両編成の電車に乗り換えて約40分。上州富岡で下車をする。
富岡で降りた乗客は10人程度、観光客らしき人が4、5人で後は地元の人であろう。
駅前に3台のタクシーがいるが、誰も利用することなく三方に散っていった。駅は瞬く間に
人がいなくなって、また元の静寂にもどったように感じる。

駅を出て商店街を富岡製糸場に向かう。休日というのに人がほとんど通らない商店街、
はたしてこれで商売になるのかと不思議である。商店街を抜けると国道245号線に出た。
国道を右に少し歩き又奥に入っていく。道は細くなり、車1台がやっと通れる路地になる。
両側の住宅は人の気配を感じないほど静まり返っている。ところどころに朽ち果てた廃屋が
あり、過疎化が進行していく街の現状を目の当たりに見る感じである。
高崎、富岡駅、商店街、そしてこの路地と、進むほどに非日常の世界に中に入り込む。
東京の喧騒に比べると時の流れが遅くなっていくように感じてしまう。歳とともにこのゆったり
とした雰囲気の方が心地よい感じである。やがて路地は広い道に出て長い塀にぶつかる。
塀の中には高い煙突が見える。駅から歩いて約20分、目的の富岡製糸場に着いた。
施設を囲む入口の塀に「祝、世界遺産暫定リストに記載」の横断幕が掲げられている。

入場料500円を払って中に入る。眼前にレンガ作りの2階建ての建物が立ちはだかる。
構造は木材の骨組みの間に、レンガを積み並べる工法で「木骨レンガ造」というものらしい。
説明書によると、富岡製糸場は明治5年の創業ということである。明治維新当時の日本は
急速に近代化を進めていた時期であり、その資金を稼いだのが最大の輸出品の生糸だった。
ところがこのブームは粗製濫造を産みだし、急速に日本生糸の評価をさげていったようだ。
そこで政府は最新式製糸器械を備えた模範工場をつくり、生糸製造の改良を行う計画を
立てる。明治3年、横浜のフランス商館勤務のポール・ブリューナの指導を得て上州富岡に
適地を見いだし、明治4年から建設は始まり、翌年7月に竣工10月に操業が始まった。
繭を生糸にする繰糸工場には300釜の繰糸器が置かれ、約400人の工女さんの手に
よって本格的な機械製糸が始まったということである。

左手に入り口でもらったパンフレットを持ち、右手にデジカメを持って広い敷地を見て回る。
繭倉庫、乾燥場、繰糸場、女工館、診療室、病室、寄宿舎、1万5000坪に及ぶ
敷地内にそれぞれの役割を担った施設がまとめてある。フランス人の指導で建築され
操業したこの工場は当時としては日本一の近代工場、この富岡の街も活気にあふれて
いたのかもしれない。

敷地内を歩いていると、ガイドさん付きで回っている20名近くの集団に出会った。
しばらく、その集団の後をついて話を聞くことにする。 60歳を過ぎた白髪のその人は
この富岡出身のボランティアのガイドさんであるということである。施設の説明はあらかた
終わっていたようで、今は世界遺産についての話をしているようである。
今世界遺産は全世界で750ケ所の登録があるそうである。そのうち日本では広島の
平和記念公園や日光、姫路城、京都奈良の文化財など14ケ所が登録されている。
そして世界遺産暫定リストには平泉、鎌倉やここ富岡製糸場など12ケ所だそうだ。
暫定リストは、世界遺産登録に先立ち、各国がユネスコ世界遺産センターに提出する
リストのことで、原則として、文化遺産については、このリストに掲載されていないものを、
世界遺産委員会に登録推薦することは認められていないということである。

だからといって暫定リストにあるから世界遺産に登録されることにはならないようである。
はたしてこの富岡製糸場が世界遺産の価値があるのだろうかと考えてみる。たしかに
明治初期に造られたこの工場、日本の産業革命の原点に位置するものなのだろう。
今は国の重要文化財になっている。しかしこれを世界遺産に認定させるには少し
無理があるように思ってしまう。よくテレビ番組などで見る世界遺産と比べると、大きく
見劣りしてしまうように思う。世界の遺産というよりローカルの遺産なのではないだろうか、
そんな風に思いながら説明を聞いていた。

昭和62年に操業停止するまで115年間にわたり休むことなく活躍してきた工場、
20数年前に操業停止してから、人が去り、物が流れなくなって、富岡の灯が消えた
ように寂しくなっていった。「我々はこの富岡製糸場を世界遺産に登録されることが夢で、
そのために一人でも多くの人に、富岡製糸場のことを知ってもらいたいと思っています」
そんな話でガイドさんは話を締めくくった。

富岡製糸場を見終わって、門の外にある食堂で遅い昼食を取って、再び街中を歩き、
駅まで戻る。商店のウインドウの中に「目指せ!世界遺産」そんなポスターが貼ってあった。
もう何年もこの場所に貼ってあるのであろう。そのポスターも街と同じように色あせていた。

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