今回は上信電鉄の山名駅からJR八高線の丹荘駅までの行程である。案内書では歩行距離21.5km、所要時間5時間30分、歩数2万8700歩となっている。しかも幹線から外れるているから現地までの往復に時間を要する。所沢から高崎を経由して山名に行くのに約3時間、帰りはJR八高線の丹荘から所沢まで2時間半以上はかかるだろう。さらに八高線は本数が少なく、接続の良いのは2時間に1本程度と少なく、行程中最もアクセスの悪いコースかもしれない。
関東平野の西の端を通る鎌倉街道は、前回にも増して田舎道ばかりである。畑、田んぼ、畜産と生産活動はほとんどが農業のようである。そろそろ稲刈りが始まった田んぼの畦には真っ赤なマンジュシャゲの花が咲き、秋の日差しを感じながら歩く里山の道は、時間の経過がゆったりと流れているようであった。
上信鉄道高崎駅 JR高崎線から乗り換え
上信鉄道 山名駅
駅前通り、突き当りを右へ
光台寺
山名氏の屋敷跡があった
高崎市内では少ない時宗の寺
時代を感じる鐘楼
10月1日の消費税値上げ対策で税別価格にしたのだろうか?
こういう表示方法だと安く感じる
鏑橋
鏑川
伊勢塚古墳
6世紀後半に造られた古墳
珪岩質の大きな石を所々に配した石積みの石室
七輿山古墳
奈良時代の役人・羊大夫は、朝廷から謀反の疑いをかけられ、
都から派遣された討伐軍と籠城して戦ったが自害する。
残された7人の姫は輿(こし)に乗ってここまで逃げてきたが、
力尽きて共に自害した。7人の姫を輿ごと埋葬そうしたしたので
「七輿山」といわれるようになったという。
墳丘には五百羅漢が並ぶが、江戸時代後半に起きた村の争いで全ての首が落とされた
藤岡歴史観
辺鄙な場所にある歴史観、今は見物者はいないようだ
白石稲荷古墳
5世紀に造られた前方後円墳で、自然の地形を上手に使っている
吉良上野介陣屋跡井戸
江戸時代、藤岡市白石地区は吉良氏の領地で陣屋が置かれた。
吉良上野介義央の産湯の井戸
忠臣蔵では悪役であるが、領民には名君と慕われていた
千部供養塔
天明3年に発生した浅間山大噴火の様子と、降灰による凶作で
諸物価が高騰した状況などを記した休養塔
藤岡道と書かれている
緑埜橋
鮎川
左は北野神社
これは古代米か?
その場で脱穀
脱穀した後の稲藁はこんな風に処理している
緩やかな上り坂が続く
地元では鎌倉坂と呼ばれている
スズメを追い払うための凧
糸が絡んで落ちている凧
美九里東小学校は今日は運動会
運動会はお昼で終わりのよう
校庭の隅にあった鎌倉街道の説明
神流川の土手を降りる
神流川の河川敷は広く、「かんな川水辺の楽校」という公園になっていた
かんな川水辺の楽校
土師神社(どしじんじゃ)
相撲の祖である野見宿禰(のみのすくね)を祀る
境内に「土師の辻」と呼ばれる相撲の土俵がある。
江戸時代にはこの土俵で出世力士の奉納相撲が行われた
本郷埴輪窯跡
神流川の河岸段丘を利用して造られた埴輪窯の跡
八高線
八王子と高崎の間92kmで昭和9年に開通
藤武橋
群馬県から埼玉県に入る
神流川
八高線 丹荘駅 (無人駅)
八高線で丹荘駅から高麗川駅まで、ここで乗り換えて東飯能まで、
東飯能で西武線に乗り換え飯能駅へ、飯能駅で乗り換え所沢へ
約2時間半以上かかる。次回、またここまで来なければならない。
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