60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

鎌倉街道(4)

2019年10月11日 08時33分22秒 | 散歩(8)

  今日は曇り一時雨の予報、「さて、どうするか?」と迷ったが折りたたみ傘と簡易の合羽をリュックに入れてスタートした。目的地までの途中、川越あたりで雨が強く降ってきたが、丹荘駅に着いたときは雨は降っていない。その後も雨がふることはなかった。

 やはり、今日も八高線に沿って歩くようである。途中にある(旧)児玉郡児玉町は2006年本庄市と合併して消滅したが、昔は児玉宿があり、今でも宿場の趣が残っている。ここで生まれた塙保己一、記念館まであり地元では有名なのであろうが、私は同じ埼玉県に住んでいるが全く知らなかった。

    

               JR八高線 丹荘駅

               先週なかった駅舎を囲む足場が設置されていた。

   左側の小さな建物が新しい駅舎、赤い屋根の古い駅舎は解体されるのであろう。

         

                   駅前通り

    

                 踏み切りをわたって

          

                 最初の交差点を左に、

          

    

    

                  神川町役場

    

    

                こんにゃくの畑が続く

    

                 右はこんにゃく畑

    

         

    

                   熊野神社

    

         

    

    

                    牛舎

         

    

                   龍清寺

    

                飛龍之榧(ひりゅうのかや)

           斜めに延びる樹形は名前の通り大空を飛ぶ龍神のよう

    

              茅葺き屋根の塙保己一の旧宅

    

                  塙保己一の旧宅

    

                 塙保己一の墓所                

    

     塙保己一、江戸時代にこの児玉町で生まれた国学者。保己一は盲目ながら

     40数年の歳月をかけて、古代から江戸時代までの国書を25項目に分類、

       編纂した史料集成「群青類従」正編666冊を完成させた。

    

                 八高線に沿って歩く

    

    

    

         

    

    

    

                  雀の宮橋

         

         

         

         

    

    

    

                 競進社模範蚕室

    

               「一派温暖育」という蚕の飼育法を考案した木村九蔵が

                           児玉養蚕伝習所に明治27年に建てた養蚕施設

       

    

                  館内二階

    

                   久米六の井戸

        日蓮聖人に帰依した児玉時国は、聖人から久米の聖を与えられる。

        その後、天正年間から代々の当主は六右衛門を引き継いだため、

       久米六と呼ばれた。久米家の屋敷にあった井戸だから「久米六の井戸」

 

         

    

               雉岡城跡(きじおかじょうあと)

    

    

                  雉岡城跡

         

         

    

                塙保己一の記念館がある

       

                 塙保己一の像

         

    

                   実相寺

           鎌倉時代作と伝わる阿弥陀三尊像が伝わる

          塙保己一の菩提寺で、堂内に保己一の位牌がある

    

    

                  田島屋旅館

       

         

             ハッピを着て本庄祭りの準備か

    

    

                   高札場

    

                  玉蔵寺

    

                       新田義貞の鎌倉攻めなどで戦死した児玉党を弔うため、

                                        救世観音を安置したのが始まり

    

                   八幡神社

    

          奥州征伐に向かう源頼義・義家が斎場を築き、

          京都の岩清水八幡宮を遥拝して戦勝祈願した

    

                  玉連寺

        児玉党の領主・児玉時国が自らの館を廃して建てた日蓮宗の寺

       

       

                   日蓮像

         

                  身馴川橋

         

                ガリガリ君の絵

    

                赤城乳業の工場

    

                 広木一里塚

    

    

             鎌倉街道(上道)の案内板があった

         

    

    

                   常福寺

    

         天平年間(729~749)に領主の檜前舎人石前が創建したと伝わる

    

                  さらし井

    

            織布を洗いさらすのに使われた井戸

         奈良時代、その布は調庸布として朝廷に献納されたという

         

              所々に鎌倉街道の案内板

         

         

    

         

    

              JR八高線・用土駅(無人駅)

           

          15時に駅に着いたが16:24まで列車が来ない

      駅の回りにはお店は一軒もない。待合室で一人ぽつんと待っていた。

    

             夕暮れになり始めた頃、列車が来た

    

    

    

    

    

    



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