Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

H夫妻と茨城・房総の旅

2014年04月06日 | 旅行

 4月4日(金)             天気=曇り後雨

 二十数年前に一度訪れた事がある茨城県笠間市に住む妻の叔母さん宅へ、妻のお姉さん夫婦(H夫妻)と一緒に再訪しようという話になった。H夫妻とは常磐道友部サービスエリアで待ち合わせる事にした。

 慣れぬ道とて1時間以上も早く待合せ場所に着いてしまったが、エリア内では警察の交通安全イベントが開催されており、「ユルキャラ」や「ミス水戸の梅娘」なども参加してちょうど良い暇つぶし見物ができた。

 ユルキャラと水戸の梅むすめ達

 程なく合流したH夫妻と共に笠間市へ向かう。ナビの誘導で迷うことなく叔母さん宅に到着、以前引っ越したとは聞いていたがモダンな家なので少し驚いた。

 妻の母親の妹にあたる叔母さんは、かなりの高齢なのだが声は若々しく記憶も鮮明で、二十数年前お会いした時とさほど変わっておられなかった。何十年ぶりに感動の再会をした叔母さんの娘さん達も交えて、お昼をご馳走になりながら楽しく和やかな一時を過ごさせていただいた。

 お昼を御馳走になった笠間のお寿司屋さん

 夕刻名残を惜しみつつ叔母さん宅を辞する。今宵は大洗海岸にある「かんぽの宿大洗」に予約しているので大洗町へ向かう。途中北関東自動車道では、もの凄い雷雨に遭遇、辺りは一転薄暗くなりヒヤヒヤしながらの運転だった。この時間帯関東一円は大荒れだったようで、埼玉では竜巻も発生したらしい。

 「かんぽの宿大洗」はとても快適な宿だった。部屋は広く太平洋を望む眺望は抜群で、従業員の人達も親切丁寧だ。1万チョットの宿泊料金でこのサービスは、高いコストパフォーマンスと言える。

 H夫妻と共に旅をするのは随分久し振りだ。私より5歳の上のHさんは、まだ現役で頑張ってるので、中々一緒に旅をする機会が無かった。宿の夕餉は新鮮な海の幸が大変美味で、心和む夕食を楽しむ事ができた。

 

 

 4月5日(土)     天気=晴れ

 早朝、太平洋の彼方から昇る壮麗な日の出を拝む事ができた。隣室のH夫妻も観たと言って感激の面持ちだった。今日は妻の要望で茨城・千葉観光巡りをする事になった。

 太平洋から日の出

 宿を出て海岸沿いに国道を南下する。私は茨城や千葉方面の地理に全く疎いので、Hさんの車に先導してもらう。ノンビリ眺めて見ると広々とした風景が心地よく、妻も「イイ所だネー。」と感心する。

 最初に着いたのが鹿島市にある「鹿島神宮」、広大な森の中に幾つかの建物が点在する国内有数の神社です。古木を配した森の道は日中でも薄暗く、身を震わす冷気が厳かな気持ちにさせる。

 鹿島神社の正門前

 昼なお暗い古木の道

 次にむかったのは房総半島東端にある犬吠岬、国道124号を南下し利根川河口に架かる銚子大橋を渡っていると、対岸に見える銚子の街が明るい陽差しを浴びて、まるでポルトガルの港町を見ているようだった。(行った事は無いけれど)

 犬吠岬突端は、大勢の観光客で賑わっていた。真っ青な空の下に白い灯台がスッキリ建ち上がっている。私は入場料が惜しく外から眺めるだけでよいと思ったが、「灯台の上から眺めると地球が丸く見えるから行ってみろよ。」とHさんが強く勧めるので、登ってみた。

 犬吠岬灯台

 上から眺めたら確かに水平線が僅かに丸く見える。灯台は海に突き出た位置にあり視野の大部分が海なので、目の錯覚でそう見えるのかも知れないが雄大な眺めと言う他は無い。

 灯台の上から太平洋

 最後に訪れたのは、江戸時代利根川沿いの水運で栄えた佐原の街並み、此処は妻が強く訪れたいと言った場所だ。小江戸と称するだけあって古い家々が良く保存されている。

 佐原の運河沿いにある古い街並み

 此処は又、近代日本地図を初めて完成させた江戸時代の地図学者「伊能忠敬」の生誕地で、彼の記念館がある。館内を見学したが、江戸時代の天文や数学がいかに高度であったか理解でき中々充実した内容だった。

 運河沿いに建つ古い家々の中にはユニークな喫茶店や商店が店を構え、女性達は興味津々の様子だが、食い物以外大して興味が湧かぬ私は少々時間を持て余し気味である。

 老夫婦が営む鄙びた喫茶店

春の日差しが傾き始め、H夫妻とは此処でお別れする。出発間際Hさんが、「オイ、秋にも何処か計画しろよ。」と一言残し去っていった。そうだなあ秋に行くなら紅葉の良い場所がいいだろう。不慣れな海沿いよりも、通い慣れた山里の方が安心して案内出来る。

コメント
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