monologue
夜明けに向けて
 



 南米チリでラゴス大統領任期満了に伴う大統領選の決選投票が1月15日に行われ、中道左派与党連合のミチェル・バチェレ前国防相(54才社会党)が、ハーバード大卒でクレジット・カード業で巨万の富を築いた金融企業家、中道右派の野党同盟、セバスティアン・ピニェラ国民改進党前党首(56)を破り当選を決めた。
保守的で男性優位なローマ・カトリック教国のチリでは、初の女性大統領となる。

 バチェレ氏は
「5年前、誰がチリに女性大統領が生まれると本気で信じたでしょう。チリを、すべての子供が十分な教育を受け、伸びるような国にしたい。われわれの政府が、すべての人による、すべての人のための政府として記憶に残ることを望む」と勝利宣言した。

 かの女の経歴をみると
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ミシェル・バチェレ(Veronica Michelle Bachelet Jeria) 1951年9月29日サンティアゴ生まれ。
1970年にチリ大学医学部に入学、父、チリ空軍アルベルト・バチェレ准将はサルバドール・アジェンデ政権に協力したとして、1973年9月11日のチリ・クーデターで、アメリカの支援を受けたアウグスト・ピノチェトに逮捕され、翌年3月拷問死。1975年、かの女自身も母親とともに逮捕拷問を受けたが、オーストラリアに亡命、その後旧東ドイツで医学部を修了。
1979年、軍政下のチリに帰国、反政府活動を再開。1990年の民政復帰とともに保健省で活動。
1996年以後米国インター・アメリカ国防大学に留学、国防軍事の研究。
 その後、ラゴス政権下で2000年から2002年まで保健大臣、2002年から2004年まで国防大臣を歴任。
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 以上のようにただのポッと出ではなく並大抵ではない波乱の人生である。

 ピノチェト軍事政権下で、父は拷問死し、当時22歳の医学生のかの女は、母親とともに5年間亡命生活したのであった。大統領となるまでにそれ相当の鍛えが入っている。医師となってから軍事についても学び国防大臣にまでなって、その自らの経験から選挙戦では「圧制による悲劇を繰り返さない政治を」と訴え、ラゴス政権の継承、
病院、学校などインフラ整備、閣僚の半数に女性の指名を公約していた。
「3人の子供のシングルマザー」「軍事クーデターの犠牲者の娘」「過疎地域の公衆衛生への奉仕者」など、
反軍政の象徴として社会開発に努めたことが人々の共感をよんだ。
ドイツのメルケル首相、チリのバチェレ大統領、リベリアのサーリーフ大統領、と時代は
女性枢軸へと音を立てて廻っている。
fumio

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