三四、 飛ぶ鳥は撃たれた
闇に走る者達の
「聖なる剣」によって
三五、 冷静なる知恵者よ 心で見よ
全ての「聖なるもの」は 神の
御業のしるしであり 名前では無い
「光の黙示録」より
平安時代から聖徳太子と呼ばれることになる厩戸(うまやと)の父は用明天皇、母は欽明天皇の娘、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。『古事記』では上宮之厩戸豊聡耳命と表記され『日本書紀』では厩戸皇子のほかに豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王、法主王と表記されている。一般には本名厩戸(うまやと)、別名豊聡耳(とよふさみみ)とされている。この名前を厩戸(きゅうと)と読めばニギハヤヒに関わりがあることを示す九十である。そして豊聡耳(とよふさみみ)は多くの人の陳情を一度に聴いて対処したからという伝説によっているが、「豊」はニギハヤヒに関わる字、「二三(ふさ)」はニギハヤヒの命日二十三日からとっている。「耳」は日向の尊称。ということで厩戸(うまやと)はニギハヤヒの霊威(みいつ)により働き日向の後継者として日本の礎を築いたのであった。
fumio
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