monologue
夜明けに向けて
 



95/03/19 観客が居ようが居まいが、「人生」という演目は上演し続けられる

いつものように一読してそれはそうなんだろうけどべつにそんなこと取り立てて宇宙神霊がメッセージとして発することはないように思う。ところがなぜ「観客がいようがいまいが」と普通に記さず「観客が居ようが居まいが」と「い」を漢字の居を二回も使用して強調しているのか、と不審を覚えたときやっとその意味に気づくことになる。「人生」という演目の観客は「居」の文字に隠されていたのだ。もちろんそれは「古」すなわちニギハヤヒの幼名である。かれは「人生」の観客として常に見守っている。
fumio

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95/06/16 欲は欲に対応し、欲は欲によって滅ぶ。しかして人の愛は?

 この答えを導くのは国語を習っている学生には簡単かもしれない。
「欲は欲に対応し、欲は欲によって滅ぶ。」のだから「しかして人の愛は?」と問われれば、「愛は愛に対応し、愛は愛によって栄える。」となんのひねりもなく自然に答えられるはず。そんな簡単で当たり前のことがなぜか実生活では当然ではなくなってしまった。内政においても外交においてもまず損得を考え愛は置き去りになる。それゆえこんなメッセージが必要になったのだ。
fumio



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