95/03/19 観客が居ようが居まいが、「人生」という演目は上演し続けられる
いつものように一読してそれはそうなんだろうけどべつにそんなこと取り立てて宇宙神霊がメッセージとして発することはないように思う。ところがなぜ「観客がいようがいまいが」と普通に記さず「観客が居ようが居まいが」と「い」を漢字の居を二回も使用して強調しているのか、と不審を覚えたときやっとその意味に気づくことになる。「人生」という演目の観客は「居」の文字に隠されていたのだ。もちろんそれは「古」すなわちニギハヤヒの幼名である。かれは「人生」の観客として常に見守っている。
fumio
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