monologue
夜明けに向けて
 

  



一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ
    英知は黄泉にも等しく与えられ
    神の御業に等しく映り その対を
    成す様に 定められたからである

一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に

「光の黙示録」より

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「黄泉の壺」とは前方後円憤の形が壷に見えるのでそう表現するのだが坪と書けば天秤の「秤」にも共通する「平」が見える。「平」はいつもいうように「一八十」の重ね文字で「磐戸(いはと)」を隠しているのだ。つまり「天秤」とは天秤(あめのいわと)。この戸をわたしたちが見つけて開かねばならない。その戸を力づくで開いた天手力男命が投げ捨て隠したのは信州の「戸隠」であった。この暗号を解けば「戸が櫛、串(九四)」。私事にわたって申し訳ないが、わたしの生家の地名は京都市下京区櫛笥通花屋町上ル裏片町であった。「櫛笥」とは変わった名称だが大物主伝説で蛇が入っていたという櫛の笥(け)に因(ちな)んでいる。それは大物主の妻となった倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)命が、昼来ないで夜だけくる夫の大物主に朝、姿を見たいと頼んだので大物主が「あしたの朝あなたの櫛函(くしばこ)に入っていよう。」と約束して翌朝、姫が櫛函を見ると小蛇がはいっていた、という伝説である。この伝説が言いたいことは大物主は裏の世界(黄泉)に行くということなのである。かれは「串」の字で表されるふたつの笥のもうひとつのほうに縦の棒を伝って入るのだ。つまり「串」とは三四三(みすみ)天秤の二つの受け皿を描いた表象文字なのである。それゆえ大物主の正式名称には「「天照国照彦天火明奇(くし)甕玉饒速日尊」と「くし」が入るのである。
fumio


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