monologue
夜明けに向けて
 




一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ
    英知は黄泉にも等しく与えられ
    神の御業に等しく映り その対を
    成す様に 定められたからである

一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に

「光の黙示録」より

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 黄泉と「櫛(くし)」が組み合わされて使用されている古事記の「黄泉國」の条はだれでも知っている有名なもので「国産み神産みの末亡くなった伊邪那美を追いかけて黄泉國に降りた伊邪那岐が妻の変わり果てた姿に驚いて逃げ帰る」という話しだがどんな文字が使用されているか参考のために以下に原文を掲げる。

於是欲相見其妹伊邪那美命、追往黄泉國。
爾自殿縢戸出向之時、
伊邪那岐命語詔之、「愛我那迩妹命、吾與汝所作之國、末作竟。故、可還」。
爾伊邪那美命答白、「悔哉、不速來。吾者爲黄泉戸喫。
 然愛我那勢命、(那勢二字以音。下效此)入來坐之事恐。
 故、欲還、且與黄泉神相論。莫視我」。
如此白而、還入其殿内之間、甚久難待。

故、刺左之御美豆良(三字以音。下效此)。
湯津津間櫛之男柱一箇取闕而、燭一火入見之時、
宇士多加禮許呂呂岐弖(此十字以音)
於頭者大雷居、
於胸者火雷居、
於腹者黒雷居、
於陰者拆雷居、
於左手者若雷居、
於右手者土雷居、
於左足者鳴雷居、
於右足者伏雷居、
并八雷神成居。

於是伊邪那岐命、見畏而逃還之時、
其妹伊邪那美命、言「令見辱吾、即遣豫母都志許賣(此六字以音)令追」。
爾伊邪那岐命、取黒御鬘投棄、乃生蒲子。
是搜食之間、逃行、
猶追、亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而投棄、乃生笋。
是拔食之間、逃行。
且後者、於其八雷神、副千五百之黄泉軍令追。
爾拔所御佩之十拳劒而、於後手布伎都都(此四字以音)逃來、
猶追、
到黄泉比良(此二字以音)坂之坂本時、取在其坂本桃子三箇待撃者、悉迯返也。
爾伊邪那岐命、告其桃子、「汝如助吾、於葦原中國所有、
 宇都志伎(此四字以音)青人草之、落苦瀬而患惚時、可助告」、
賜名號意富加牟豆美命(自意至美以音)。
最後其妹伊邪那美命、身自追來焉。
爾千引石引塞其黄泉比良坂、其石置中、各對立而、度事戸之時、
伊邪那美命言、「愛我那勢命、爲如此者、汝國之人草、一日絞-殺千頭」。
爾伊邪那岐命詔、「愛我那迩妹命、汝爲然者、吾一日立千五百産屋」。
是以一日必千人死、一日必千五百人生也。
故、號其伊邪那美命謂黄泉津大神。
亦云、以其追斯伎斯(此三字以音)而、號道敷大神。
亦所塞其黄泉坂之石者、號道反之大神、亦謂塞坐黄泉戸大神。
故、其所謂黄泉比良坂者、今謂出雲國之伊賦夜坂也。


以上、ここからいわゆる「櫛の火」に関する部分を抜き書きすると
「故、刺左之御美豆良(三字以音。下效此)。
湯津津間櫛之男柱一箇取闕而、燭一火入見之時、
宇士多加禮許呂呂岐弖(此十字以音)」

 美豆良(みずら)とは「巻」や「鬟」と書いて古代の男子の髪の結い方で髪を頭の真ん中から左右に分け、耳のあたりで輪形に結んだものを指す。それで「左之御美豆良」は左側の髪の輪ということになる。
問題の櫛は「湯津津間櫛」だが普通に解釈するのではなくこれが岩戸に関係するのであればそのように意味を解かねばならない。「湯」とは火と水の交わるところを意味する。それで文字中に水と日が使われる。
「津間」は間を意味し「夫(つま)」とも書いて端の意味。「湯津津間」で日の世界と水の世界の間の端と端の交点を意味する。これはそういう櫛なのである。
そして「男柱一箇取闕而、燭一火入見之時、」とここで十の回転の力「男」の柱が出てくる。
それに火をつけると左側の櫛だったから左「火垂り」に回転して戸が開いてその中に入って見たのだ。
それでこの世と黄泉の世界をつないだ部分の宇宙構造がそのあとに宇士多加禮許呂呂岐弖(此十字以音)と注意深い文字使いで記されている。
これを「蛆集(たか)れ」と読んでゾンビたちの踊りのような話しということになってしまったが「宇」はもちろん宇宙の宇で千にウカンムリ、「士」は千が逆になった形。則ち「千」の回転が多く加わり豊かで「呂呂」は「串」にそっくりでこの世と黄泉の底辺同士が重なった図なのである。
この伊邪那岐と伊邪那美の決別のとき、岩で塞いだ現世と黄泉の国とのあいだにある坂の名前が黄泉津平坂であった。坂は境のこととされ、この平は比良と書かれたりしたがやはり岩戸を示唆していた。伊邪那岐を追いかけてきた「豫母都志許賣」は「黄泉醜女」で黄泉の四九女ということで九四を逆にしてある。いずれにしてもこの世と黄泉の「三四三」 の宇宙と 平と櫛は深い関わりがあるキーワードになっている。
ここで思い出すのは「SOUNDとこの部屋の仲間へ」のひらがな部分にあった「かすたりて みすみ を しょうく し」という一節である。これは「数足りて三四三を正串」ということででバランスを失っている三四三の世界を正しくするという意志の表明であったのだ。
fumio

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