日本書紀一書第十原文
及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。
時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、
不可共去。
是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。
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これは記紀において括りの神がたった一度登場する場面である。
イザナミと泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、イザナギは
「始め悲しみ哀れんだのは、わたしが怯えたから」という。
このとき泉守道者(よもつもりびと)がいうには「わたしはあなたにすでに国を生んであげたのになぜこの上、生むことを求めるのですか。わたしはこの国に留まります。共に去れません」。 このとき菊理媛神(くくりひめのかみ)が、また申し上げることがあった。イザナギはこれを聞き、ほめた。そして、去った、と一般的に解釈されてきた。
ところが、菊理媛という神の素性が不明で『古事記』には記されないで、『書紀』のこの一書だけに現れて、何かを言ったとあってもその内容が記されていないので謎の神となっている。平田篤胤は『日本書紀通釈』において「菊理媛のククリは聞入の意か」と述べている。そして現在は菊理媛は白山(はくさん)の主祭神とされ白山姫(しらやまひめ)」と考えられている。
さて「菊理媛神」はこの場面で一体なにをしたのか。わけがわからない。仲直りさせたので縁結びの神ということになっているのだが…。
原文「菊理媛神亦有白事。」を「菊理媛神」がククリ神であるという前提で分析すると、
ククリ神が事(九十コト)を白(九十九)括った。「平坂」は平逆だから音霊逆転法でみれば「平(HIRA)」が「有(ARIH)」となる。つまり、菊理媛神が平坂を事(九十コト)で括ったからイザナギはそれをほめて安心して散去したのであった。
いつもながらニギハヤヒはあちこちに面白い仕掛けをちりばめて人を煙に巻いている。
fumio
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