monologue
夜明けに向けて
 




<2> 神を恐れる者達よ

一、  影を色濃く落とした泉のなかに 壺は投げ捨てられた
    命の剣を携えた 命を刈るものによって

二、  夜の闇に紛れて行くものを 銀の月の粉で捜せ
    周りは朱鷺色 中程に進むにつれて夜明け色
    手に入れることは出来るが 頭を入れることは出来ない

三、  八は三の中に 四は五の上に
    九は一二をもって飾られるべし
    五六は無に帰せよ

四、  月明りのふくろうは その爪にルビーの指輪を
    三番目の羽根は切り取るべし

五、  青い外套の女に 人魚の涙を渡す時
    亀甲の数字を手にするであろう

六、  苦しみは 夜明けと共に、霜の様に頭上に
    降るであろう
    川を渡る時に 川のおもてを見てはならない

七、  果実の肉を食してはならない
    種子を袋に収めよ

八、  銀の御舟が過ぎる時 影の頭を留めよ
    月型は しかし 使ってはならない
    心の鋳型を当て填めよ

九、  櫛型の木立の三番目 波形の光の向こう
    岸に近く 葦の立つところ
    水際に たなびく霞を見付けよ

一〇、 陽は日とは異なり 煉は漣に連なる


          「光の黙示録」より

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「 陽は日とは異なり 煉は漣に連なる」

  太陽の象形文字はだれもが子どもの頃、描いた絵のように○のまわりに光を放つ形だった。そして次第に文字の形をとると○にチョンになった。それは、紀元前、周王朝期に流行した金文文字として現代も印判の書体に用いられる。やがて、ほとんどの漢字の形がまとまり後漢の許慎が西暦九十九年に脱稿した文字の成立の由来の説明書「説文解字」にはすでに「日」となって出ている。すこし丸っこい形だが現代の文字とあまり違いはない。中心のチョンを横棒にして□の中に通した「日」である。炎は常に立つ性質を持つので火は縦の棒で示される。そのように考えれば日は火の性質を持つので□に縦の棒でなければおかしい。しかしその字は封印されて現在に至っている。そのかわりに出てきたのが横棒でチョンを示した「日」である。水は常に水平を保つので、横棒で示されるはずなのでこの「日」の字は水の性質を持った太陽を示すことを表している、と考えられる。ヒの発音に注目すれば、関連性がある文字に「日、霊、水、冷、火、陽、氷、干」などがあり水も含まれる。すなわち、「日」とは水素が核融合する水性物質太陽そのものを意味している。それゆえ、数霊的には月と同じ三(水)でしかない。月神と同じ性質の日神。日」はこれまで本当の意味が隠されてきた陰の文字だった。陽」はそれに対応する正しく陽の性質を持った文字として機能している。それが、「陽は日と異なり」という詩句の示唆するところと思われる。それを表現するために「異なる」という文字を使用している。異は「田」の共(十面)」つまり宇宙構造を示す大いなる「亀」の上下に共にある田の部分を表す。現在のアンバランスになった宇宙の日と均衡のとれた「ミスミ」宇宙の陽とは同じようでいて異なるのだ。

 「煉は漣に連なる」の煉はデジタル大辞泉によれば[音]レン(呉)(漢) [訓]ねる1 鉱物を熱して不純物を除き、良質のものにする、ということである。「漣」は「さざなみ」で数にすれば「三三七三」でバランスのとれた彼岸此岸ともに七の「三四三」宇宙を示している。すなわち、「煉」の不純物を除き、良質のものにする作業は「漣」の「三四三」宇宙にも連なり引き継がれるというのである。
fumio


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