monologue
夜明けに向けて
 




三〇、 朽ち果てた館に住む者 ここに在り
    目は濁り口は溶けて その肉は
    腐るに任せて

「光の黙示録」より

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この詩は数霊(かぞたま)をあてはめて読む。
すると「九ち八てた八方に住む物 九九に在り
目は二五り九チは十けて その二九は
九三るにまかせて」となる。
それは九の数霊に関わりが深くて八の方に住む物らしい。
九九(ここ)は将棋盤上の世界観。つまりこの詩は将棋盤になぞらえて作られている。
その二五の目とは中心の五々の位置。将棋盤の中央。都とも呼ばれる。二九も九三も盤上の位置を示す符号であちこち移動している様子。

 タイトル戦で使用されるような立派な高級将棋盤は榧(かや)の柾目の七寸盤で盤の形は亀の姿を模している。亀を創られた方は天円地方説の姿に亀を象られた。亀の背中の甲羅が丸い天を表し、腹の甲羅が平らな方形の地を表す。その腹の平らな甲羅のヒビによって亀甲文字が始まった。天と地の甲羅の間にある亀の身は大気でありその中を生きる人である。
四隅を支える脚は山梔子(くちなし)の実の形に彫られる。それは盤側から助言しないようにとの「口なし」に通ずるという。
その果実は熟すと黄赤色になるが口を開かないのでクチナシという。「朽ち果てた」と「口は溶けて」がクチナシを暗示している。
少なくとも、盤とよばれるほどの厚みがあるものを裏返しにしたとき、将棋盤の中央。都とも呼ばれる地点の真裏に一般にヘソと呼ばれる窪みと中央の突起物が目に映る。その不可解な部分は、「音受け」または「血溜まり」と名づけられている。「音受け」は良い音がするようにということであるという。「血溜まり」は、昔、助言した者の首がはねられて、その首を置いて血がたまったからであるという。一瞬なるほどと思わせる説明であるがもちろんそれらはごまかしで本当は「音受け」は「闇」の文字の門の間におられる「音(ノン)」神を受けているから。「血溜まり」は霊(チ)が溜っているから。そこで九の数霊に関わりが深くて八幡神として八の方に住む大物主、かれ「天照国照彦天火明奇甕玉 饒速日尊(ニギハヤヒ)」はこの天地を裏から支えているのである。「九霊(チ)は十けて、」九霊(チ)であったかれは十けて、十となり、かれはこのところあまり名前が出てこなかったが最近テレビの「千と千尋の神隠し」の再放送で饒速水琥珀主として登場したり「GRACE ofJAPAN」で石清水八幡宮の鳩として登場してきた。この詩の解読をさせるのもその存在を主張する計画の一環のようだ。
fumio

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