monologue
夜明けに向けて
 




このあいだの土曜日、NHKBSで北山修主催の加藤和彦をしのぶコンサートの番組をやっていた。
北山修は1965年、加藤和彦の雑誌「MEN'S CLUB」での呼びかけに自宅から七条通りを妹の自転車で東へ走り伏見区の加藤和彦の家まで南下して通ったという。北山修と加藤和彦は平沼義男、芦田雅喜を加えてフォーク・クルセダーズを結成し、語学学習用のオープンリールレコーダーで早回しボーカルの録音を行って「帰って来たヨッパライ」を制作した。プロデビューに当たって平沼らに代わって同志社大学のフォークサークルの端田宣彦が参加する。
当時の京都の音楽模様を思い出すと杉田二郎のジローズが「あなただけに」でデビュー。ダーツが「ケメコの歌」でデビュー。岡崎出身のバンド「ファニーズ」はナベプロに入り「タイガーズ」という名前でデビューした。
同志社大学のヴァニテイが日本コロンビアからカレッジフォークとして「ザ・バニティー 愛に吹く風」 というシングルを発売。
ザ・バニティはリードヴォーカル石塚成孝、コーラス越智友嗣、ベース井上博のトリオでサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」を得意曲にしていた。フォーク・クルセダーズ解散後、同志社大学の先輩端田宣彦が結成したシューベルツに越智友嗣と井上博が杉田二郎とともに参加して「風」をヒットさせた。当時の京都は右を見ても左を見ても才能のある若者がひしめき合って競っていたのだ。わたしはかれらを横目で見ながら音楽をやるのなら米国に行こうと決心していた。
fumio


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