わたしの幼い頃、各家庭に風呂ができるまで庶民は銭湯「大衆浴場」に通った。そのころの銭湯は娯楽施設のようだった。「怪傑黒頭巾」の時代劇スター、大友柳太朗がよくやってきた京都市下京区二人司町4の吾妻湯という銭湯は大きくて繁盛していた。吾妻湯に行くのは一日の汗と汚れを落とすのではなく遊びに行く感覚だった。島原国際劇場という外国映画専門館の横の通りの突き当りあたりに吾妻湯があった。風呂は中央に大浴場、その隣にすごく熱い湯の風呂、広い浅風呂、打たせ風呂、寝風呂、ジェットマッサージ風呂、泡風呂、生薬クスリ風呂、そして大岩水風呂、電気風呂も強弱2種類あって入るとしびれて動けなくなった。女湯には露天風呂もあったそうだが確かめてはいない。そしてある時しばらく工事があって蒸し風呂というものができた。それがサウナの初めだったようだ。大人たちはみんな平気で長く入っていた。わたしたち子供はそこにどれだけ入っていられるか競争した。のぼせると水風呂に飛び込んだ。隣の女湯に入っている奥さんと石けんを受け渡ししているおじさんもいた。大浴場で泳いだり潜ったりしてよく怒られた。脱衣所のあるロビーあたりには肩もみアンマ器などが設置されていた。風呂上りにコーヒー牛乳、ラムネ、ジュースなどで渇いた喉を潤すのが楽しみだった。今でもふとラムネの栓をシュポンと抜く音や一気に飲むと苦しいような飲み心地が蘇る。
ネットによるとそのなつかしの吾妻湯も2011年3月20日に廃業したらしい。ふたたび「大衆浴場」に人々が集うのんびりした時代は来ないのだろうか。
fumio
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