わたしには小学校一年二年を一緒のクラスで過ごした同じ町内の淵田茂美という友達がいた。
かれのお母さんはかわいくてきれいで町内にある日本映画館島原劇場(八雲座)の入場券売りをしていた。それでわたしはいつもただで入った。
茂美はある時、ハーモニカを買ってもらったといってわたしに見せびらかした。そしてそのころ流行っていた三橋美智也の曲を吹き始めた。それだけではなく知っている曲ならなんでも吹けるといってわたしのいう曲を全部吹いた。わたしはびっくりしてしまった。それがわたしの音楽を始める動機になった。ハーモニカはないので茂美を目標にして口笛や指笛でなんでも吹けるように練習したり歌を練習した。
そしてわたしが中学生になったある日、記念に父が自分が愛用していたコニカのカメラをくれた。
わたしはなにを撮ったらいいのかわからず、憧れていた茂美のきれいなお母さんに被写体になってくれるように頼んだ。
島原劇場の横の広場で初めて触る写真機をおどおど操作して近づいたり離れたり何枚も何枚も撮った。お母さんはまだ若くてうれしそうだった。
それからしばらくして近所のおばさんが突然わたしの家に来て「淵田さんの写真をください、この間撮ったでしょ。淵田さんのお母さん、電車にはねられて死んだの。葬式の写真がいる」という。その時は気づかなかったが電車にはねられたというのは嘘だった。のちに知ったことは茂美のお母さんは恋人と心中を図ったということだった。わたしはその時、大人の世界の不可解さを垣間見た。あのすてきなお母さんがどうして死んだのか、裏にそんなどろどろを抱えて生きていたなんて…。合掌。
fumio
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