今週の「GRACE ofJAPAN」は秋田県男鹿市の赤神神社(あかがみじんじゃ)を採り上げていた。一般には赤神神社五社堂として知られている。
ウイキペディアによれば、
「72年(景行天皇2年)(80年(景行天皇10年)とも81年(景行天皇11年)ともいう)、赤神と称した漢の孝武帝が天から降りてきたという伝説がある。一方、縁起によると、860年(貞観2年)、慈覚大師円仁が当地に来て赤神山日積寺永禅院(永禅坊とも)を創建したのに始まり、1216年(建保4年)、比叡山の山王七社を勧請して造営されたが、うち2社が廃れたため五社堂となったとする。」ということだがどうして日本の秋田県男鹿で漢の孝武帝を祀らねばならないのか腑に落ちない。慈覚大師円仁が勧請したという比叡山の山王七社の山王とは天照国照彦天火明櫛玉饒速日(ニギハヤヒ)命のことなので結局赤神とは孝武帝のふりをしたニギハヤヒらしい。円仁は赤神の秘密を見破って山王を勧請したようだ。
fumio
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