monologue
夜明けに向けて
 



1963年(昭和38年)、京都市立塔南高等学校に入学した時、芸術のコースは選択制で美術と音楽に分かれていたので音楽を選択した。コーラスの授業で歌っていると田辺という音楽教師が眉間に皺を寄せて生徒の席の間を廻っていた。そしてわたしの前で止まって突然「お前や!」と言ってわたしを指差した。「ほかのクラスのコーラスはみんなきれいやった。このクラスだけがおかしかった。だれがおかしいか探したらお前やった。お前が1オクターブ下を歌うてたんや」という。わたしは普通に歌っているつもりで1オクターブ下を歌っていたらしい。わたしはびっくりして意識してみんなと同じ高さで歌った。英語の授業で先生に「ええ声やなあ」と感心されたことといい、コーラスで知らぬうちに1オクターブ下を歌っていることといい。わたしの声には特別ななにかが仕掛けられていたようだった。そのことに気付いてそれからだんだん洋楽ポップスにのめり込み始めるのだった。
fumio

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