monologue
夜明けに向けて
 



93/08/14 その時、夜の目をした真珠の子供は「時」を知るだろう
94/10/26 龍王は火炎を上げ、深海で真珠を抱く人魚は眠りから覚める…
95/04/28 深海から泡が立ち昇る、世界を抱く貝は真珠の夢から覚めた様だ
95/06/02 真珠貝に抱かれし子は目を開けた。夜の目と朝の目、そして龍の目

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真珠に関するメッセージ集はこれだけ。
深海とは真貝であり神界。泡とは吾倭。
「真珠」とは真の朱の王。朱の世界とは伏見稲荷の千本鳥居に見るように隔り世。
fumio


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なぜか川村デデさんのことをふと思い出して検索すると2012年に亡くなっていた。
かれはイギリスから帰国して1973年に近畿放送と改称する前のKBS京都テレビで「POPS IN PICTURE(ポップス イン ピクチャー)」という番組を始めた。この番組が日本の洋楽ヴィデオ番組の端緒だった。当時はヴィデオ機器が高価で洋楽ヴィデオ自体がほとんどなかった。わたしたち洋楽ファンはそれまで「ミュージックライフ」などの音楽雑誌やラジオで情報を得るだけでライヴを見に行く以外にはアーティストの演奏する姿を見る機会がなかったのだ。入手困難な多くの海外のアーティストの映像をデデさんが見せてくれたことでその後の日本のミュージシャンの感性が育った。わたしも大きく影響を受けた。感謝している。「ポップス イン ピクチャー」でスレイドのヴィデオを繰り返して流していたのでわたしもスレイドが大好きになった。デデさんは川村龍一という名前も使用していたがこの番組「ポップス イン ピクチャー」では自分を川村尚(ひさし)、愛称をデデと言っていた。わたしが毎週日曜に一時間演奏していたライヴ喫茶でデデさんがラジオの生放送をしたこともあった。その時実際の顔を見た。亡くなっていると知らず今頃どうしているかと気になったのだ。洋楽の種蒔き人、デデさん、ありがとう…、合掌。
fumio

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1950年代に一般家庭にテレビが普及してから男の子が夢中になったヒーロー物で最大のヒットは宣弘社プロダクション製作大瀬康一主演の月光仮面(げっこうかめん)だった。ところが月光仮面の真似をして子どもが高所から飛び降りて事故が多発して有害番組と批判され1959年に打ち切りになった。その後、宣弘社プロダクションは「ジャガーの眼」という作品を制作したがぱっとしなかった。それで1962年に宣弘社は侍忍者物に舵を切り大瀬康一主演の連続テレビ時代劇『隠密剣士』(おんみつけんし)を制作した。この作品は大ヒットして海外では『ザ・サムライ』というタイトルで放送されてブームになっているとよく噂された。特にオーストラリアや東南アジアでの人気はすごくオーストラリアのロックグループ「メン・アット・ワーク」の曲"Shintaro"は『隠密剣士』の主人公秋草新太郎のことなのだがトーキョーと繰り返すのが面白い。日本人は時代劇なのだから「江戸」でなければと思うけれど海外の人にとってはコーラス部分は「トーキョー」がかっこよく聴こえるのだろう。
fumio

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そして弟は留学生仲間と翻訳、通訳会社を立ち上げた。2002年、日韓共同開催ワールドカップで、大分県中津江村をキャンプ地としていて到着が遅れたことで一躍有名になったカメルーンの選手たちの話すフランス語が日本の一般の通訳の人々にわからないからと弟にお鉢が回ってきたこともあった。あの頃、マスコミを賑わせたカメルーンの選手たちは言葉が通じないので意志疎通で揉めたのかもしれない。
fumio

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わたしには、光男という二歳下の弟がある。かれはわたしと同じようなことをして大きくなった。わたしは「藤田まこと」の出身校、京都市立郁文中学で柔道部に入り弟も中学生になると柔道部に入った。それでそのころ、天理大学に稽古に来ていたオリンピック無差別級チャンピオン、アントン・ヘーシンクの練習見学の招待を受けた郁文中学柔道部と先輩である京都市立塔南高校生のわたしも誘われて一緒に見に行ったことがあった。弟も高校は塔南高校に入って学校の文化祭ですでに卒業していたわたしの書いた脚本で「黒い涙」というベトナム帰休兵ブルースシンガーと逃亡娼婦の劇の黒人兵を演じたりわたしの反戦歌「わんだふるわーるど」の英語の歌詞を学校の文集に掲載して話題を呼んだ。あの時代、高校の演劇に娼婦が登場するのはどうだったのだろう。先生たちはどう思ったのだろう。弟は高校を卒業するとベースを弾きギターのわたしと一緒に「光と影」というバンド活動をした。わたしが米国に行くというと自分はフランスに行くと言って京都駅近くの語学学校に入ると提携先の学校に留学できることを教えてくれた。おかげでわたしがその語学学校から提携先のロサンジェルスのAssociated Technical Collegeに留学すると弟はフランスに留学した。そのころNHK大河ドラマ「獅子の時代」でパリ万国博覧会に派遣された幕府の使節団がリヨン駅 (Gare de Lyon) を行進するオープニングの場面のエキストラに多くの日本人留学生たちが雇われたのだが会津藩士平沼銑次役の菅原文太の横を弟も丁髷侍姿で歩いていたことを思い出す。
fumio

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私的カウントダウン、アルバム「水面に書いた物語 」、「プロセス」「カリフォルニア・サンシャイン」「ひかりのくにへ」「現代の愛 」シリーズインストルメンタル曲集「夢神楽」などの今週のアクセス聴取ランキング
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8月29日(金)~9月6日(金)
ヒット数 338件中  
順位前週前々週 
第1位(1)<1>祭りの夜
第2位(5)<3>あやかしのまち
第3位(2)<2>夢の旅
第4位(-)<->オーロラの町から
第5位(4)<4>はるかなるメロデイ
第6位(7)<7>マイ・スィート・ライフ
第7位(10)<->ごめんなさい
第8位(25)<14>STAY WITH ME
第9位(3)<4>水面に書いた物語
第10位(6)<15>そしてなにが残った
第11位(24)<12>ラスト・ランデヴー
第12位(14)<19>ときめきFALL IN LOVE
第13位(-)<->プロセス
第14位(-)<->UFO ROCK
第15位(8)<8>Wake you
第16位(23)<13>軽々しく愛を口にしないで
第17位(17)<->モニカの朝
第18位(18)<->愛と光のテーマ
第19位(-)<->それってⅨじゃない
第20位(-)<->手をかざしてごらん
第21位(-)<->歌入りマホロバ回帰
第22位(22)<9>素顔のマスカレード
第23位(15)<->Sentimental lady ‘M’
第24位(-)<->Good-bye Sue
第25位(-)<->I'm looking for love

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今週9月に入って夏祭りの季節は終わったけれどもまだ圧倒的に祭りの夜 がトップだった。季節は関わりがないのだろうか。20位の手をかざしてごらんが珍しいところ。この曲を歌った時あっちでもこっちでも多くの人が涙を流したものだった。人の感性を揺さぶるなにかがあるのかも。 ご愛聴感謝。
fumio


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SFのプロジェクトが終わってメンバーは自然にバラバラになった。中島茂男はサンフランシスコに行き、宮下富実夫は自分自身のアルバムを作っていた。わたしはあるバンドのベース兼ヴォーカルを頼まれた。その編成はちょっと変わっていてラテンギター、ジャズギター、ピアノにわたしのベースと歌。レパートリーはスタンダード、ラテン、ジャズ、ポップス、ロック、歌謡曲と客が盛り上がり譜面さえあればなんでもありだった。そのバンドでしばらく生活した。わたしはその間に8chレコーダーやミキサー、エフェクター類など録音機材を購入して自分のアルバム「カリフォルニア・サンシャイン」の基礎を作り始めたのである。
fumio

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わたしの幼い頃、各家庭に風呂ができるまで庶民は銭湯「大衆浴場」に通った。そのころの銭湯は娯楽施設のようだった。「怪傑黒頭巾」の時代劇スター、大友柳太朗がよくやってきた京都市下京区二人司町4の吾妻湯という銭湯は大きくて繁盛していた。吾妻湯に行くのは一日の汗と汚れを落とすのではなく遊びに行く感覚だった。島原国際劇場という外国映画専門館の横の通りの突き当りあたりに吾妻湯があった。風呂は中央に大浴場、その隣にすごく熱い湯の風呂、広い浅風呂、打たせ風呂、寝風呂、ジェットマッサージ風呂、泡風呂、生薬クスリ風呂、そして大岩水風呂、電気風呂も強弱2種類あって入るとしびれて動けなくなった。女湯には露天風呂もあったそうだが確かめてはいない。そしてある時しばらく工事があって蒸し風呂というものができた。それがサウナの初めだったようだ。大人たちはみんな平気で長く入っていた。わたしたち子供はそこにどれだけ入っていられるか競争した。のぼせると水風呂に飛び込んだ。隣の女湯に入っている奥さんと石けんを受け渡ししているおじさんもいた。大浴場で泳いだり潜ったりしてよく怒られた。脱衣所のあるロビーあたりには肩もみアンマ器などが設置されていた。風呂上りにコーヒー牛乳、ラムネ、ジュースなどで渇いた喉を潤すのが楽しみだった。今でもふとラムネの栓をシュポンと抜く音や一気に飲むと苦しいような飲み心地が蘇る。
ネットによるとそのなつかしの吾妻湯も2011年3月20日に廃業したらしい。ふたたび「大衆浴場」に人々が集うのんびりした時代は来ないのだろうか。
fumio

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昨日、午前11時半の予約で歯科検診に歯科クリニックへ。
助手の女性が歯のプラークを削ったりしながら歯間ブラシや歯ブラシの使い方の指導をしてくれた。
音波ブラシというものもあるらしい。プラーク除去がすべて終わってついでに近赤外線(0.6μm~1.6μm)レーザーsuper lizerで右手の拘縮部を照射してくれた。血流を増加させるらしい。
fumio

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8月29日、将棋A級順位戦3回戦、渡辺明二冠対広瀬八段戦で渡辺二冠が敗れリーグ3連敗になった。多くのファンが今期こそは名人挑戦者として名乗りをあげると予想していたのに初戦で森内前名人に敗れてつまづいてしまった。2回戦の深浦九段戦は午前1時を回る死闘になって落とした。この広瀬八段戦も後手のゴキゲン中飛車を採用してうまく指して途中までリードしていたが終盤で追い上げられて午前1時過ぎにまさかの逆転負け。名人挑戦どころか陥落の目も出てきてネット上の将棋ファンは大騒ぎ。リーグ戦の佳境に入る来春までにどのように立て直すのだろう。
fumio

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昨夜の「GRACE ofJAPAN」は神奈川県高座郡寒川町宮山に鎮座する相模国一宮寒川神社(さむかわじんじゃ)を採り上げていた。テレビ放送関係者には「視聴率祈願の神社」として知られ一般には八方除の守護神として正月の三が日には40万人が初詣に訪れるという。
祭神は寒川大明神で寒川比古命 (さむかわひこのみこと)、寒川比女命 (さむかわひめのみこと)の二柱だが記紀に記述がなくそれがどなたなのかよくわかっていないが明神系の神として出雲大和に端を発する八幡神、菊理媛、素盞嗚命、稲田姫尊などと考えられている。やはりここにもニギハヤヒの影がさしているようだった。
fumio

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