わたしには、光男という二歳下の弟がある。かれはわたしと同じようなことをして大きくなった。わたしは「藤田まこと」の出身校、京都市立郁文中学で柔道部に入り弟も中学生になると柔道部に入った。それでそのころ、天理大学に稽古に来ていたオリンピック無差別級チャンピオン、アントン・ヘーシンクの練習見学の招待を受けた郁文中学柔道部と先輩である京都市立塔南高校生のわたしも誘われて一緒に見に行ったことがあった。弟も高校は塔南高校に入って学校の文化祭ですでに卒業していたわたしの書いた脚本で「黒い涙」というベトナム帰休兵ブルースシンガーと逃亡娼婦の劇の黒人兵を演じたりわたしの反戦歌「わんだふるわーるど」の英語の歌詞を学校の文集に掲載して話題を呼んだ。あの時代、高校の演劇に娼婦が登場するのはどうだったのだろう。先生たちはどう思ったのだろう。弟は高校を卒業するとベースを弾きギターのわたしと一緒に「光と影」というバンド活動をした。わたしが米国に行くというと自分はフランスに行くと言って京都駅近くの語学学校に入ると提携先の学校に留学できることを教えてくれた。おかげでわたしがその語学学校から提携先のロサンジェルスのAssociated Technical Collegeに留学すると弟はフランスに留学した。そのころNHK大河ドラマ「獅子の時代」でパリ万国博覧会に派遣された幕府の使節団がリヨン駅 (Gare de Lyon) を行進するオープニングの場面のエキストラに多くの日本人留学生たちが雇われたのだが会津藩士平沼銑次役の菅原文太の横を弟も丁髷侍姿で歩いていたことを思い出す。
fumio
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