風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

創作 「移住計画」 その1

2010-08-18 22:01:51 | インポート

Marinpia1 今年もそろそろ夏を終ろうとしている。

この時期の夕日は、なんともいえない色をしていて

行く夏を惜しんでいるかのような淋しさをも感じる。

最盛期には海水浴客でごった返していた

海辺の町にも、やっといつもの静けさが

訪れようとしていた。

自宅から徒歩で約30分、この道を歩く事が日課となっている。

若いころならば絶対に走っていただろこの道だが、

今は殆ど走る事もなく、愛犬に引かれて浜辺におりては、子供がそうする様に

戯れる程度となってしまった。

しかし、この風景が好きでたまらない。

心落ち着くこの時間を感じられるからこそ、この生活を、

そしてこの地を選んだのだ。

我が子に慣れ親しんだ“あの家”を譲り、妻と二人でここで暮らすようになって

3年の月日が過ぎていた。

そういえば昨年は随分雪が多かった。

慣れない雪かきで疲れはしたが、それはそれなりに楽しかった。

降りしきる雪のため、一日中家の中で暮らす生活にもやっと慣れてきた。

また暮らし始めの頃は、何をするでもなく一日の長さに閉口していたものだが、

それも気の持ちよう。

天気の良い日には好きな日本酒でもと、近所の酒屋にぶらりと出かけ

あれこれと物色をするのである。

当然、この地は米どころであり、良い水に恵まれているのだから、

決して有名な地酒でなくとも、無名で安価な地酒であろうとも、

他にはない味わいを見せてくれるのだ

そうした酒を探し求める事、そしてそれを味わう事が楽しみの一つとなり、

そうした喜びだけでも普段の生活にアクセントを与えてくれていた。

しかし当然、昼間から呑んでいたのではからだにも良い訳がない。

それまで忙しさにくれていた生活習慣も当然あり、日が暮れなければ

その食卓に付く事はなく、決して呑んだくれな生活にはならない。

そして昼間といえばそれまで読めなかった本を読み、

映画のDVDなどを日が暮れるまで楽しんでいた。

そしてその晩になれば妻の作ってくれた肴で晩酌をするのだが

それが、格別な事であっても特別なことではない事は言うまでもない。

新しく見つけた酒以上に楽しみである妻の酒の肴でもあるのだ。

Umi09 それは北の大地の海の幸ほどの

豊富さはないもの、この地にも新鮮な

魚介類を手に入れるのは容易な事。

なれば、料理の腕もさることながら、

その新鮮さで他の調味料は

かえってその味の邪魔者になる事は

当たり前の事でもある。

その事をしっかり心得ている妻の料理の腕も流石だと改めて思う毎日だ。

またその素材を探しに行く妻もその事自体を楽しんでもいるようだ。

かつて一日の労働の後に心地よい疲労と共に呑んだビールの味は

なんともいえぬ味わいでもあったが、今はそうした感覚は薄く、

しかしこれはこれで私にとってかけがえのない楽しみの一つでもあり、

そして日課となっていた。

子供達は、まだそうした晩酌の楽しみには程遠い生活を強いられているようだ。

それは当たり前の事で、自分の子供が成長し、手のかからぬようになるまでは

そんな余裕など感じる暇もないくらい頑張らねばいけない。

かつてこの私が経験したように・・・。

しかし、何時かその子供の心配もせずにいられ、精神的に余裕ができた時にこそ

この地に呼び寄せ、この地酒で、妻の手料理即ち、お袋の味で

酒を酌み交わそうではないか。

Umi10 それまでは是が気でも私達は

元気でいなければならない。

成長した子供の愚痴や夢を

聞いてやらねばならないのだ。

当然、それは私一人ではなく、

ここにいる私の妻も一緒にである。

帰宅後の夕日の中、夏の終わりに小さな庭先で、

終わりに近づいている

花壇の花の手入れに精を出している妻の横顔を見ながらそう思った。

「移住計画」、これが成功に終ったのかどうかは分からない。

もちろん不慣れな地であるが故、不便であることも、旧友に気安く会えない

淋しさもあるのは当然だ。

しかしただ言えることは、心静かに時の流れを見つめなおす事が、

この地でできたという事。

実にたくさんのことがあった人生、それだけに最後となるだろうこれからの

時間の終末は、せめてこの綺麗な夕日の中で終りたいと思ったのである。

新潟の海、これこそが私が選んだ最後の場所なのだ。

(写真は新潟HP他よりお借りいたしました。)

コメント (5)
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