ここ熊谷スポーツ文化公園で開催された。
もちろん、スポーツ観戦が好きな私としては
この開催の3日間は絶対に
欠かせない日となる。
トラック競技はもちろんのこと
フィールド種目にも
今や世界を代表する選手も
こぞって参加をする今大会だ。
天気は3日間とも曇天で、日本一暑いこの熊谷では選手達にとっては
むしろラッキーだったのかもしれない。
が、気温が29℃ほど上がる日中に持久系の競技の選手には
少々気の毒だったかもしれない。
競技初日、トラックでの10000m決勝や短距離の予選などで
既に私はヒートアップ。
3日間、全ての競技をこの目で見てやろうと心に決めていた。
子供達への陸上教室なども
開催されていて
一流選手が講師となり
子供達にその楽しさや
トレーニング方法などを
教えていたりと
協会のそんな好感の持てる
一面を見せていてくれていた。
講師となっていた選手もとても楽しそうで、それを観客席で見ていた私たちも
実に微笑ましく、それでいて役に立つ内容に興味深々。
さて、競技の内容、結果等は某国営放送にてご存知の通りだと思うのだが、
カメラには写らなかった感動の場面も見ることができた。
優勝が決まったその時に
子供達が選手にぬいぐるみを
手渡すのだが
多くの選手はそのままの姿勢で握手、
そして肩を抱えて写真撮影。
それはそれで凄く爽やかで
好感の持てる場面であるが、
ある棒高跳びの優勝者は
膝を付き、子供と視線を同じにして、そのまま膝をついての姿勢で
写真に応じていた。
この姿は、超有名選手の違った一面を見せていてくれていた。
ちょっと近寄りがたく、他の者を排除しようとする競技中の雰囲気は全くなく、
優しく包まれて写真を共にした子供にとっては
最高の思い出になった事に違いない。
私と同じ苗字の選手だっただけにそんな場面を見せてくれ、
ホントに心から嬉しかった。
また、女子5000mの優勝者は原因不明の病魔に襲われ
北京オリンピックを泣く泣く諦めていた選手。
群馬県高崎市出身であの仙台育英高で活躍し将来を
有望視されていた選手なのだが、そんな事情で暫くその雄姿を
見ることができなかった選手だ。
レース後のコメントに、このような状態で
腐っていた自分を心から励まし
激励をしてくれていたコーチや周囲の人々に感謝をしたい。
と、語っていた。
まさにそうだろう。
普通の選手なら、歩くこともままならない状態で、原因も治療法も
不明確な病魔。
その時点で、全てを諦めていてもなんら不思議ではない。
そんな状態から日本一になり、世界選手権への切符を手に入れたのだ。
インタビューの時の目元に光るものがその苦労を物語っていた。
どの選手もみんな人には言えないほどの苦労や努力をしている事は
私が言うまでもないこと。
だが、その先の一歩を踏み出したものが
好成績を挙げている様に思えた。
並大抵な努力じゃない事は当たり前の世界。
そこに甘えとか妥協とかは有り得ないものだと思う。
日本一を目指すどころか、世界を相手にするという事は
そういうことなのだろう。
が、素人が無責任に「頑張れ」というのも選手達にとっては
酷なお話なのだが・・・。
しかしそんな中、敢えて言うなら今回は不調だったのか、
いつもの切れ味もなく平凡な記録に終ってしまった、
地元埼玉県出身のスプリンターには
もう一度女王のライバルとしてその地位を脅かし、
そして世界に羽ばたく選手になってなっていただきたいのだ。
地元選手には特別なそうした想いが強くなる。
それと、怪我で今回を欠場した私の大好きな長距離選手。
再び笑顔の爆走娘のあの走りを世界の舞台で見せて欲しいものだ。
そうそう、女子5000mの優勝者が後のコメントでこうも言っていた。
「先輩のワンジルさんに喜びの報告をしたい。
でもワンジルさんはマラソンじゃなければダメだと言うでしょうね。」と。
不幸にも事故で命を落とした金メダリストワンジル選手の冥福を祈ると共に、
マラソン界にヒロインの誕生を予感させてくれていた。