風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

名シーン

2023-03-30 04:20:49 | 日記・エッセイ・コラム
例えば亡くなった親父が夢に出てくる。

その時の顔。

どうしても鮮明に思いだせない。

いや、夢なのだから思いだすではなく、見ることができないが正しい。

もし、もしもだが、親父があの世の世界からこの世に戻ってきたとする。

そうしたらその霊を親父だと分かるだろうか。

映画「鉄道員(ぽっぽや)」を思いだす。

高倉健演じる乙松は赤ん坊の雪子を亡くす。

その雪子が小学校入学前から小学生、そして高校の制服を着た中学生に姿を変えて会いに来る。

中学生を演じる広末涼子が、「お父さんを怖がらせたくないから」という台詞に乙松は「自分の子供を怖がる親がいるはずがない」と答える。

それは子供でなく、親でも同じ。

自分の親が霊となって子供に会いに来たら、その子供が怖がるはずがない。

親子の絆とはそんなものかも知れない。

どんな姿をしていても、たとえそれが幽霊であっても”もう一度会いたい”と思うことはごく自然なことだ。

言い換えればそれだけ親に対して、子供に対して、感謝と愛情を持てたということ。

貧しくなんの贅沢もすることなく、すき間風が吹くようなぼろ屋で育った。

それでも、できることならその家にもう一度帰りたいと思ったりもする。

そんな風景は鮮明に思いだせるのに、親父の顔が思いだせない、いや、夢で見ることができない。

いつでもおぼろげな姿しか現れない。

じつはそれ、自分の中で、”ようやく親父が成仏できた”、なのではないかと思う。

がんで苦しむ親父の看病に明け暮れた毎日。

ともかくそこから抜け出したい、逃げてしまいたい。

いやでいやでたまらなくとも、どうすることもできない。

がんじがらめに手足を縛られ、いくら力を振り絞ってもその縄を解くことも切り裂くこともできなかった。

そんな親父の顔、顔、顔。

今はおぼろげだが、少なくとも苦しみに歪んだ顔で無いことは確かだ。

ある僧侶にお聞きしたことがある。

成仏とは、故人の良いことばかりが思い浮かぶようになった時こそが成仏できたと。

なるほど、そういう訳か。

苦しかった思い出がいつの間にか懐かしさに変わっている。

これこそが親父が成仏できたということなのかもしれない。

だから夢に見る親父の顔は霞んでいるのかも知れない。

没後27年、親父はようやく成仏できたようだ。

奇しくも鉄道員でだるまやの女将役、名優奈良岡朋子さんが亡くなった。

酔っ払いの炭鉱夫役の志村けんさんの熱演も印象に残っているが、もしかしたら今あの世、天国で高倉健さん、志村けんさん、そして奈良岡朋子とで幌舞の駅舎前での撮影を懐かしく語り合っているやもしれない。

合掌



コメント
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