(前の記事からの続き)
境界性パーソナリティ障害の人は、
事実と解釈を 一緒くたにしてしまうのも、 認知のワナです。
推測したことが、 いつの間にか 事実のように見なされてしまいます。
記録カードを見ながら、 他に受け止め方や対処法は なかったかと問いかけ、
考えを語り合います。
こういう方法もあると 提案したり、 話し合いを重ね、
ロールプレイをすることもあります。
記録カードを つけ続けていくうちに、
落ち込むときのパターンや、 怒りが爆発するときの パターンが見えてきます。
それが自覚されると、 行動や感情の コントロールが改善していきます。
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/60532375.html
〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
解釈 (頭の中の考え) が いつの間にか 事実になってしまうことは、
心子にもありました。
心子が友だちから ピュアだと言われたそうで、
心子は 「あたし、 ピュアじゃないんだけどォ」 と 冗談めかし、
僕もふざけて 「じゃ、 汚れてんの?」 と 口が滑ってしまったのです。
むろん、 汚れてないでしょ という前提です。
けれども 心子は急に、
「どうせ あたしはけがれてる」 と 落ち込んでしまいました。
それから約1ヶ月に渡り、 心子は自宅に 閉じこもることになってしまいます。
その間に、 「じゃ、 汚れてんの?」 という 僕の失言は、
「しんこ、 穢れてるじゃん」 という言葉に すり変わっていました。
「穢れ」 という言葉は、 クリスチャンにとって 生きる価値もないことだそうです。
その言葉によって、 心子はより一層 苦しめられてしまうのです。