「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

100点か0点ではなく、 50点を

2010年04月08日 19時14分54秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 境界性パーソナリティ障害の人は、

 事実と解釈を 一緒くたにしてしまうのも、 認知のワナです。

 推測したことが、 いつの間にか 事実のように見なされてしまいます。

 記録カードを見ながら、 他に受け止め方や対処法は なかったかと問いかけ、

 考えを語り合います。

 こういう方法もあると 提案したり、 話し合いを重ね、

 ロールプレイをすることもあります。

 記録カードを つけ続けていくうちに、

 落ち込むときのパターンや、 怒りが爆発するときの パターンが見えてきます。

 それが自覚されると、 行動や感情の コントロールが改善していきます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/60532375.html

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 解釈 (頭の中の考え) が いつの間にか 事実になってしまうことは、

 心子にもありました。

 心子が友だちから ピュアだと言われたそうで、

 心子は  「あたし、 ピュアじゃないんだけどォ」 と 冗談めかし、

 僕もふざけて  「じゃ、 汚れてんの?」 と 口が滑ってしまったのです。

 むろん、 汚れてないでしょ という前提です。

 けれども 心子は急に、

 「どうせ あたしはけがれてる」 と 落ち込んでしまいました。

 それから約1ヶ月に渡り、 心子は自宅に 閉じこもることになってしまいます。

 その間に、 「じゃ、 汚れてんの?」 という 僕の失言は、

 「しんこ、 穢れてるじゃん」 という言葉に すり変わっていました。

 「穢れ」 という言葉は、 クリスチャンにとって 生きる価値もないことだそうです。

 その言葉によって、 心子はより一層 苦しめられてしまうのです。
 
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