由布島へ、水牛車で渡る。
西表島の東側から、500メートルくらい浅瀬の海を渡ります。
1969年(昭和44年)の台風で、この島は壊滅的な被害を受けてほとんど全ての住民は、西表島に移住したのですが、ただ一組、西表正治さん夫婦が島に残り、亜熱帯植物や水牛を育成し続けました。
この水牛を使って観光客を運ぶアイディアが成功して、今や、この島と西表島の必須観光イベントとなっています。
環境保護、スローライフなど、70年代から40年近くがたち時代が変化して、地味な頑固さが支持されるようになりました。
この小島(一周2km、海抜1.5m)唯一の食堂での昼食です。地元の食材ばかりで、健康的、美味しい料理でした。
水牛は、初代第五郎と花子より何代か続いて増えています。この水牛の子はまだ生後半年でした。
車を引く牛も、週休2日だそうで、池に浸かって休養していました。
西表島の東側から、500メートルくらい浅瀬の海を渡ります。
1969年(昭和44年)の台風で、この島は壊滅的な被害を受けてほとんど全ての住民は、西表島に移住したのですが、ただ一組、西表正治さん夫婦が島に残り、亜熱帯植物や水牛を育成し続けました。
この水牛を使って観光客を運ぶアイディアが成功して、今や、この島と西表島の必須観光イベントとなっています。
環境保護、スローライフなど、70年代から40年近くがたち時代が変化して、地味な頑固さが支持されるようになりました。
この小島(一周2km、海抜1.5m)唯一の食堂での昼食です。地元の食材ばかりで、健康的、美味しい料理でした。
水牛は、初代第五郎と花子より何代か続いて増えています。この水牛の子はまだ生後半年でした。
車を引く牛も、週休2日だそうで、池に浸かって休養していました。