那覇の国際通は、「奇跡の1マイル」と呼ばれ戦後驚異的な速度で復興したメインストリートです。1950-53年の朝鮮動乱(戦争)の時に、米国軍は沖縄を基地にして朝鮮半島に進撃しました。太平洋戦争の終戦1945年からそれほど年数が経過していませんが、当時の米国対ソ連の冷戦を背景として、ソ連と中国に支援された北朝鮮が韓国に侵攻したためでした。那覇は沖縄の中心都市として、軍需景気に沸騰したわけです。
いまは、すっかり観光客の買い物街となっています。
といっても、シンガポールのオーチャードとかとは、全く違っていて、浅草の仲見世のようなカジュアルショッピングでしょうか。
国際通の近くに、中央市場があります。
肉屋、魚屋、八百屋、菓子屋など、食料品を中心にびっしりと店が並んでいました。
見たことも無い色鮮やかな魚が並んでいました。青緑ネオンカラーに光る魚など、少し不気味ですね。美味しいのでしょうか。
イセエビも種類が多く、色どりも様々。驚くようなカラーのも並んでいました。
旅行者だから買って帰れないと言うと、「ここで買って、2階の食堂にて料理してくれる」とのことです。持ち込み料500円。
この写真が、2階の食堂です。数軒あり、わいわいと楽しい食堂でした。
これは、塩の専門店。
地元の新聞記事によれば、外国からの観光客をさらに誘致したい、そのための方法を検討しているそうです。アジアからのお客さんを狙っているようですが、南アジアのほうが、もっときれいな海と海岸があり価格も安い。
差別化するとすれば、「文化」「歴史」「若者向けのポップカルチャ」「日本料理」、他には?
いまは、すっかり観光客の買い物街となっています。
といっても、シンガポールのオーチャードとかとは、全く違っていて、浅草の仲見世のようなカジュアルショッピングでしょうか。
国際通の近くに、中央市場があります。
肉屋、魚屋、八百屋、菓子屋など、食料品を中心にびっしりと店が並んでいました。
見たことも無い色鮮やかな魚が並んでいました。青緑ネオンカラーに光る魚など、少し不気味ですね。美味しいのでしょうか。
イセエビも種類が多く、色どりも様々。驚くようなカラーのも並んでいました。
旅行者だから買って帰れないと言うと、「ここで買って、2階の食堂にて料理してくれる」とのことです。持ち込み料500円。
この写真が、2階の食堂です。数軒あり、わいわいと楽しい食堂でした。
これは、塩の専門店。
地元の新聞記事によれば、外国からの観光客をさらに誘致したい、そのための方法を検討しているそうです。アジアからのお客さんを狙っているようですが、南アジアのほうが、もっときれいな海と海岸があり価格も安い。
差別化するとすれば、「文化」「歴史」「若者向けのポップカルチャ」「日本料理」、他には?