那覇の首里城を見学しました。
戦争で全部焼けてしまったので、再建された宮殿と、修理された城壁などです。
25年くらい前に仕事で出張した際、多分見学したとは思うのですが、全く記憶に残っていません。
1980年代から建物の再建が始まり、2000年の世界経済サミット(森首相の時代)に合わせて主要部がほぼ完成しました。以前、訪問した時は石垣くらいしかなかったのでしょう。

正殿はともかくも、この写真にある書院の庭も明治時代の記録写真を元に、同じイメージの白珊瑚の石灰岩、蘇鉄、琉球松を、沖縄じゅう探して移植したそうです。

正殿の前にある広場には、紅白縞の模様が敷き詰められています。
なぜかな。展示してあったお祭の写真を見ると、この紅白ラインに沿って人々が整列していました。そのような実用性もあるのですね。

2000円札に印刷された「守礼門」。いまやこのお札はほとんど流通していません。
2の付くお金、20ドル札や2ユーロ硬貨、25セント硬貨(クォータ)など、便利ですが、なぜ日本では流通しないのでしょうか。

玉陵(たまうどぅん)。ここは、見学者がぐっと少ないですが、圧巻でした。
歴代の琉球王の墓所です。この石室には入れませんが、公園入り口脇にある展示館にて、説明図、写真、遺物をみることができます。
火葬の習慣が無かったこともあり、王の遺体はこの石室に数年間安置され、その後、「洗骨」の処置がされて納骨されるとありました。
ミイラにはしませんが、まさに「ピラミッド」です。
戦争で全部焼けてしまったので、再建された宮殿と、修理された城壁などです。
25年くらい前に仕事で出張した際、多分見学したとは思うのですが、全く記憶に残っていません。
1980年代から建物の再建が始まり、2000年の世界経済サミット(森首相の時代)に合わせて主要部がほぼ完成しました。以前、訪問した時は石垣くらいしかなかったのでしょう。

正殿はともかくも、この写真にある書院の庭も明治時代の記録写真を元に、同じイメージの白珊瑚の石灰岩、蘇鉄、琉球松を、沖縄じゅう探して移植したそうです。

正殿の前にある広場には、紅白縞の模様が敷き詰められています。
なぜかな。展示してあったお祭の写真を見ると、この紅白ラインに沿って人々が整列していました。そのような実用性もあるのですね。

2000円札に印刷された「守礼門」。いまやこのお札はほとんど流通していません。
2の付くお金、20ドル札や2ユーロ硬貨、25セント硬貨(クォータ)など、便利ですが、なぜ日本では流通しないのでしょうか。

玉陵(たまうどぅん)。ここは、見学者がぐっと少ないですが、圧巻でした。
歴代の琉球王の墓所です。この石室には入れませんが、公園入り口脇にある展示館にて、説明図、写真、遺物をみることができます。
火葬の習慣が無かったこともあり、王の遺体はこの石室に数年間安置され、その後、「洗骨」の処置がされて納骨されるとありました。
ミイラにはしませんが、まさに「ピラミッド」です。