明日のNHK大河ドラマで、徳川・会津の旧幕府軍と錦旗を得た薩長軍が戦う場面が放送されます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/48/3db04666051a1d2ab20a7b7461e41606.jpg)
東京から友人が来訪したので、伏見周辺を歩いてみることにしました。
京阪電車「中書島」駅にて降りて、10分くらい歩くと運河にでます。豊富秀吉が建てた伏見城の外堀にあたるようです。
「十石舟」に乗りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/4d/18b7b6e3dc2a6a18c7d97cff6e723c84.jpg)
この広い水路は、琵琶湖疏水です。大津、蹴上とつながっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/36/03b75fc6a3a9087bc4a12ee6982021c5.jpg)
その先には、高瀬川の合流地点。
高瀬川は角倉了以が江戸時代に開削した人工の運河で、京都中心部の三条で鴨川につながっています。かつてはもっと広い川幅があって、船をつかう水運路として活躍していました。現代で言えば、新幹線や高速道路に相当するのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/1a/481bb04aa328f05755067666976691b2.jpg)
さらに進むと「三栖閘門」に至ります。この水門は、淀川との合流地点に作られて、水路の高度を調整して船を通過させるシステムです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/25/5191ac44b44503d9c28e1e8a0ab2cbe1.jpg)
三栖閘門下流の風景です。現在は使われていないので、土砂がたまって細い流れになっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/e3/b0b8c6c04b9c8f673506b9faf4c0bd55.jpg)
三栖閘門の運転室を利用して、記念館ができています。十石舟ツアーは、ここを見学するため15分くらい下船します。その後、次の船が来るのでそれに乗って元の場所に戻りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/b5/93d879a521b479d2c90be1ae0cfd9998.jpg)
この水路沿いには、坂本龍馬とおりょうの像があります。明治維新前夜には、薩長土佐の脱藩藩士たちがこのあたりに潜伏し、それを追う新撰組や会津藩士が暗躍した場所ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/8e/ef6fda6fd0d70aa63048666839674625.jpg)
この絵地図は、三栖閘門記念館に展示されていた江戸時代の地図です。
この地一帯は、内陸の港となっていて、広い水路が広がっていました。京阪電車の駅、「中書島」もまさに島でした。
この交通の要所には、鳥羽街道と伏見街道が並行して京都と大坂を結んでいたのです。
徳川と会津、桑名などの幕府軍は、その両街道を京都に向かいました。迎え撃つ薩摩藩、長州藩、土佐藩は優勢な最新式洋式銃器と、西郷隆盛の指揮により勝利します。
多くの犠牲が払われたことは残念ですが、武力で決着をつけなければ、政治が変わりませんでした。近代日本出発の号砲。
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東京から友人が来訪したので、伏見周辺を歩いてみることにしました。
京阪電車「中書島」駅にて降りて、10分くらい歩くと運河にでます。豊富秀吉が建てた伏見城の外堀にあたるようです。
「十石舟」に乗りました。
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この広い水路は、琵琶湖疏水です。大津、蹴上とつながっています。
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その先には、高瀬川の合流地点。
高瀬川は角倉了以が江戸時代に開削した人工の運河で、京都中心部の三条で鴨川につながっています。かつてはもっと広い川幅があって、船をつかう水運路として活躍していました。現代で言えば、新幹線や高速道路に相当するのでしょう。
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さらに進むと「三栖閘門」に至ります。この水門は、淀川との合流地点に作られて、水路の高度を調整して船を通過させるシステムです。
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三栖閘門下流の風景です。現在は使われていないので、土砂がたまって細い流れになっていました。
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三栖閘門の運転室を利用して、記念館ができています。十石舟ツアーは、ここを見学するため15分くらい下船します。その後、次の船が来るのでそれに乗って元の場所に戻りました。
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この水路沿いには、坂本龍馬とおりょうの像があります。明治維新前夜には、薩長土佐の脱藩藩士たちがこのあたりに潜伏し、それを追う新撰組や会津藩士が暗躍した場所ですね。
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この絵地図は、三栖閘門記念館に展示されていた江戸時代の地図です。
この地一帯は、内陸の港となっていて、広い水路が広がっていました。京阪電車の駅、「中書島」もまさに島でした。
この交通の要所には、鳥羽街道と伏見街道が並行して京都と大坂を結んでいたのです。
徳川と会津、桑名などの幕府軍は、その両街道を京都に向かいました。迎え撃つ薩摩藩、長州藩、土佐藩は優勢な最新式洋式銃器と、西郷隆盛の指揮により勝利します。
多くの犠牲が払われたことは残念ですが、武力で決着をつけなければ、政治が変わりませんでした。近代日本出発の号砲。