金沢散策がまだ続きます。
旧三田商店。今は骨董屋になっているのですが、横の入口からは喫茶店として営業していました。
ランチメニューがあったので入ってみました。
カウンターの右手奥にはステンドグラスが輝いていて、とてもいい雰囲気です。
家庭風チキンカレーのほうをいただきました。
食後には香り高いコーヒーを飲みながら、定番で、日経新聞の最後のページを読みました。
一つは、浅田次郎の連載小説、「黒書院の六兵衛」。江戸城の無血開城が出だしの場面ですが、話がミステリーじみてきて展開が読めない。(連載はあれから20日くらい経過したが、まだ「六兵衛」の正体には多くの謎が!)
もう一つは、同じ最終ページ「私の履歴書」、米沢富美子先生(慶応大学名誉教授、日本物理学会(元)会長、1938年生まれ)の激烈な学者人生。
2012-6-23記事からの引用:
私も乳がんで83年と84年に左右の乳房を全摘している。45歳の84年にはがんの第3期と判明し、私の5年生存率はゼロに近かった。 (中略)
私は23歳の時に胞状奇胎で胎児ががん化し、35歳の時には子宮前がん状態で子宮を全摘している。3人の子供を授かった子宮と全員母乳で育てた両乳房だが、未練はなかった。それぞれ「お役目、ご苦労であった」と労をねぎらって暇を出した。
さらに70歳の時に甲状腺をがんで全摘し、総計5回のがん手術を受けた。そのたびに手術の翌日から論文を書くなど立ち直りが早く、キャリアに影響しなかった。
(引用終わり)
こんなすごい女性科学者が日本にもおられたとは知りませんでした。
この建物の近所に
金沢文芸館(金沢五木寛之文庫)もあって、そちらもレトロモダンな建物でした。入りそこねました、残念。
(引用:http://cw-karhu.jp/)
これは、版画家クリフトン・カーフさんの自画像。「かーふコレクション」もこのちかく主計町(かずえまち)にあったのですが、朝早くて閉まっていました。
すぐ近くの泉鏡花記念館や、ひがし茶屋街の徳田秋聲記念館も見学しそびれてしましました。少し離れた室生犀星記念館。また日を改めて訪問せねば。
(今回の金沢編は終わります)