玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

勘違いしているような

2019-12-24 07:59:03 | おつきあい
 父の世代はきまりきったものを食べて重労働だった。穀物、野菜以外にない状態で朝から晩まで仕事だった。今から見ると低カロリー、栄養失調目前、のようなもので、良く動ごけたな、としか思えない。考えられない世界の話だ。それが、有名な所得倍増計画のもとで所得が向上し高カロリー食も普通になった。

 高カロリー食で豊かになったのではなく低カロリー食で日の出から日没まで、それどころか夜なべしてまで働いて所得を上げた結果、高カロリー食が手に入るようになったのから、原因と結果を勘違いしている。
 高カロリー食は今ではたいへん安くなり、昔ながらの蕎麦屋のほうが満腹するレベルから計るとはるかに高価になっているようだ。

 その結果、高所得者は高カロリー、低所得者も高カロリーになった。もう、高カロリーだから所得が多い、ということではなくなった。ものすごく高価な高カロリーのものもあるが普段は口にしないだろう。

 父の時代は、低カロリーで所得を向上させて高カロリーを楽しむようになったのであり、逆ではない。
 所得の高い層が高カロリー食ができるようになった、ということを忘れて、いつどうなったか、ものすごい勘違いの

 高カロリーで所得を上げる

ということが常識になった。

  工業製品を見ると
 乗用車でも電気モーターで加速は抜群になったが燃料消費は三分の二になっている。大入力=大出力の時代は終わっている。
 加速抜群、低燃費の乗り物で移動する人が高カロリー、高食費になっている。江戸時代の、かご、に乗って移動することから見れば所得の向上があってのことだ。

 今、所得を向上させるには歴史に従い粗食低カロリーで行くしかない。
 ところが、なんと、どうしたことか自然食品品店の作物は普通のスーパーより高く、父の時代の粗食のイメージは全くない。高級品だ。

 粗食が高級品になっているすごい時代になったの感覚だが、これを作るにはとんでもない技術とそれを可能にする環境が必要だ。人力で昔のようなことをやれば価格は跳ね上がる。作った人は売る気がないだろうが。







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