玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

どこかで合わせている

2019-12-19 01:20:15 | 
 米の収量がガッカリするほど少ないので狭いながらも通常作業だ。もし、冷害にあわないで昨年並の収量があると、農作業場がなくなった分疲労でウンザリしただろう。
 来年は、収量をグーーーンと増加予定なので新しい農作業場も必要になる。しかし、できるだけコンパクトして現状維持で体がまいらない方法が無いか、考える。
 考えようによっては、大減収で良かった、楽々、楽々、楽々で脳みそが活発に将来を考えている。
 体が楽だと脳が良く働く、といってもくだらない将来の構想だ。

 なぜ、台風で農作業場を壊された年に台風被害でなく冷害で大減収だったのか。冷害が先で台風被害は後。逆なら話はわかるが脳みそが作業場が壊れることを予想してわざと浅水にして大減収にしたのではないか。意識に現れないところで、浅水を実行した深い意識がある。過重な消耗から体を保護するため無意識に実行させる深い意識があるのか。

 すると、人間も本能的に天気を予想して農作業していることになる。
 ところが、来年の天気はどうなるか、と予想しようとしても全くわからない。梅や桜の開花時期が遅れたとか早いとか、そのようなものだ。

 台風の影響を軽くするため、深い意識は表面意識に悟られることなく浅水を実行し減収させて体力消耗を軽くした。

 こうして見ると、9月中旬の台風を7月上旬の冷害で収量減少で対応したので、6月下旬には浅水にしていたことになる。中耕除草を行っていたので浅水のほうが作業がやりやすかった。そして、そのままにして、深水にはしなかった。

 よく考えると、これはただの、めんどくさがり、だ。中耕除草が終わってから深水にするため排水口を上げなければならなかったがめんどうなので、また、次回の中耕除草の時に水があるとじゃまなので浅水のままにした。
 それで、浅水でどれだけもつか、などとくだらないことを試していた。
  
 要するに、ものぐさだっただけ。

 それでは、なぜ、冷害の年になったにもかかわらず中耕除草に全力をあげたのか。
 なぜ、深水にして冷害を防ごうとしなかったのか。中耕除草最優先にして浅水を続けたのは、ただの、ものぐさだからか。

 確実なのは、大減収でホッとして良かったと思っている怠け心、ものすごいネガティブな体を防衛する意識がある、ということ。そのネガティブな意識は中耕除草のような重労働を経験した後で意識に上らないところで、やめろ、やめる、やめた、となった。

 深水は体に負担がかからないからやれることだ、とわかった。田の中に入って除草など始めると浅水にしておけ、と深い意識が足を引っ張る。やめたの意識いっぱいになる。本人はやる気十分でもブレーキをかけるものは体力消耗だけでなく無意識にやる気をなくしている。

 体が楽、というなら、なにもしないほうが良い。深水は趣味で行っている遊び要素のある意識が行っていたが、中耕除草をやると増収しなければ、というプロ意識が占めて、めんどうという意識が優先するので、深水にしなくなる。

 ものぐさ人間の場合、プロ意識が出ると失敗する、ということがわかった。趣味の意識で行け。絶対失敗するな。収量はほどほどのところで行け。

 宴会のメニューを充実させること、保存食品で充実させる料理法、などこちらはプロ意識が必要になる。失敗など恐れなくても良い。
 プロ意識をどんどん発揮して失敗するから、原料供給よろしく。


コメント
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