一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

身の丈にあった街

2004-12-23 | うろうろ歩き
フィレンツェといえばドウォーモとウフィッツィ美術館と言われるくらいの名所なので、まずはウフィッツィ美術館を訪れる。

最初、ホテルからの道を間違えたのだが、そもそもフィレンツェはとても小さな街なのですぐ元に戻れることがわかって安心。
写真のベッキオ宮殿の隣に建物としては地味な大きな凹型の建物がある。

予約がないと並ぶ、予約がないと並ぶと脅かされていたので予約を取って望んだウフィッツィであったが、さすがにクリスマス休暇期間中のためかガラガラ。かえって予約のチケットを入り口と別の窓口に受取りに行くのが手間なくらいだった。

美術館は階段を上って3階(イタリア流だと2階)。回廊だけを見ると、ああ、こんなもんか、と思うが、展示室の奥行きがけっこうある。
ちゃんと日本語版のボイスガイドもあるのでそれを聞きながらゆっくり回る。

展示物だけでなく、建物・展示室の装飾が見もの。
回廊の天井は「グロテスク様式」という。
もともとはイタリアで15世紀に洞窟で発見された古代壁画装飾の名称に由来する。そこから人間や動物、植物を空想的な形態で組合せたファンタスティックな装飾芸術の様式をいう。16世紀以降、イタリアのこのグロテスク模様が周りの国々に伝播した結果、その後文学で「グロテスク」という言葉が用いられるようになったらしい。
なので一般に言われる「グロテスク」の語感よりは醜悪な感じはしない。

また、回廊には内側(中庭に面して)は女性の胸像、外側(展示室側)には歴代ローマ皇帝の胸像が並んでいる。
ローマ皇帝の胸像はなかなかにリアルで、塩野七生「ローマ人の物語」でも引用されていて、そこでの皇帝の表情に現れた性格描写を思い出しながら、なるほど、といちいちうなずくことが多かった。

ルネサンス絵画はやはり15世紀後半から16世紀にかけての、表現が劇的に変わるあたりの表現形式の多様性・百花繚乱が魅力的。

17・8世紀に入ると、メディチ家も勢いではなく蓄積した財力と閨閥にものを言わせようという、お大尽になってしまい、絵画もフランス・ドイツが中心になってくるし、魅力が薄れる。
やはり青年期が一番勢いがあるのだろう。

でも、このあと行ったルーブルとかウィーンの美術史美術館のように「世界中から財力にあかせて古今東西の財宝をかき集めた」というのではなく、自分の身の回りのいいものを集めた、という姿勢が、とても真っ当だと思う。

フィレンツェは、町並みといい、教会や美術館といい、レストランといい、とにかく身の丈に近い、変に威張っていない、自然体で格好いいところがいい。
これは昔の街並みの中に古い建物を改装して暮らしているせいだろうか。


そのあと、アルノ川を渡って市を一望するミケランジェロ広場へ(写真)。

一面に広がる茶色い瓦の間からドゥォーモやベッキオ宮が頭を出している。
市内が立て込んでいる(それも趣があるが)分、こういう街を一望できる場所があるのは住んでいる人にとっても憩いの場になるだろう。

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内向きの競争意識

2004-12-23 | あきなひ
7時半に目覚ましをかけたが、辺りはまだ暗い。
しかし街は動き出しているようで、下の通りをバスが走る音が聞こえる。

8時半ごろ2階のホールで朝食。
ホールの壁面・天井は一面に装飾が施されていて重厚感たっぷり(写真はそのホールの壁面から天井にかけてのもの)。

コンチネンタル・ブレックファストと思いきや、ソーセージ、ハム、チーズ各種にスクランブルエッグなどもあり、フルーツも充実している。
ここ2食は機内食だったせいもあり、とてもうれしい。

ホールが広い割りに朝食をとっている人が少ないのでちょいと寂しい。これは寝坊したせいなのか、オフシーズンで宿泊客が少ないせいなのか?

日本人客が結構多い。クリスマスシーズンに旅行に出かけるのは日本人くらいなのだろうか。

ところで日本人客と廊下ですれちがった時に「おはようございます」と挨拶をすると、ちょっと怪訝な顔をされる。

昔から日本人は海外旅行の旅先で日本人に会うのを嫌うような感じがする。

わざわざ海外まで来て日本人に会いたくない、という気分もわからないではないが、まったく会わないというのは自家用機で行くとかホテルを貸切にでもしない限り無理な相談だ。
これは「私はあなたのような観光客丸出しの人とは違うのよ」ということなのか

こっちは別に馴れ馴れしくつきまとおう、とか友達になってくれというわけではないので、挨拶くらい返してくれたっていいと思うのだが・・・
どうも日本人同士には微妙な距離感があるような気がする。



「日本人同士の距離感」ということでいきなり話は変わるが、日系の華僑の人の話では、中国でビジネスをしていても日本企業は日本企業間の競争とかどうも内向きのことに関心が行くらしい。
「商売をどう成功させるか」よりも「どう日本のやり方で仕事ができるか」を優先させてしまう。
それでたとえば「日本語の話せる中国人」を雇うことを優先し、日本で中華料理屋で皿洗いをしていたような、ビジネス経験のない、単なる調子のいい人間を雇って痛い目にあったりする。

一方で、ビジネスの関係なのに日中戦争や靖国神社の話を中国人相手に始めてしまい、関係を悪化させる人も多いとか。
そんなのは百も承知だろうに、日本人には中国に行くと日本を代表して戦後問題を議論したがる人が多いらしい。
しかし当然のことながらその日本人は日本政府の代表でもないし、中国側もビジネスをしにきているだけで、たとえそれが役人だとしても(だとすればなおさら)政府の外交政策についてコメントできるわけがなくい。
結局そこで壁ができてしまう。

華僑氏曰く、中国人や中国に進出している他の外国人と渡り合うためには、当たり前だが「中国においてどういうビジネス(平たく言えば金儲け)をするのか」を中心に考えていかないといけない。そもそも中国人はタフネゴシエーターだし、アメリカ人もgreedyななかで、日本人同士の足の引っ張り合いをしている暇はない、とのこと。


また話は変わるけど、不況下で「成果主義賃金体系」を導入した企業が増えているが、なかなかはうまくいかない、という話をきく。
これもそもそもの導入の動機が、年功序列主義を排して、賃金原資を維持しながら成果をあげた従業員により多く配分することで組織のモチベーションを上げ、生産性を向上させようとういうものだった。
ところがよく考えてみると、原資=総額が変わらないのであれば結局従業員間の賃金変動はゼロサムゲームになるので、外部に向けて成果を上げるよりは内部で足の引っ張り合いをして自分のポジションを上げたほうが効率的だ、ということがわかる。
なので、現状の成果主義体系は「ボクは、ワタシはこんなによくやりました」という幼稚園児の発表会のような内部で褒めてもらうための競争をもたらしているだけなのではないだろうか?


話がとりとめもなくなってしまいましたが、内輪同士でつまんないライバル心を燃やすよりは、協力して外から何を得てくるかが大事だよね、という話でした。
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